「耕人集」 6月号 感想  沖山志朴

柏手のこだま返しや初ざくら山下善久

 広い神社に参拝した折の嘱目吟であろう。柏手を打つと、すかさずその音が堂宇から谺となってはね返ってくる。ふと見上げると、枝先には何輪かの桜の花が咲き始めている。あっ、初桜だ、と作者は本格的な春の到来を実感する。
 藤沢周平に『盲目谺返し』という作品がある。相手を倒す必殺の業である。掲句における「谺返し」は周囲の山々に反響したこだまとも理解できるが、お堂からの反響と考える方が自然か。

奥千本中千本や西行忌石井淑子

 西行がなくなったのは、文治六年(西暦1190年)2月16日であるが、忌日はその一日前とされている。吉野の西行庵で三年ほど暮らしたこともある西行は、かの有名な「願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」の歌を生前残している。
 この年の2月16日は、新暦の3月30日頃という説が有力である。人々は、この時期になると、奥千本の桜も咲き始めた、中千本は今ちょうど見ごろである、などと吉野の桜の話題で持ちきりとなる。作者もそんな話題に加わりながら、ひそかに西行のことを思う忌日である。

国宝になる木簡や草駒返る冨安トシ子

「草駒返る」は、今日あまり使われることのない季語の一つであるが、多年草の古草が、春になって萌え出し、まるで若返ったように茂ることを言う。
 掲句では「なる」の一語に作者の心情が託されている。遺構の中から掘り出された木簡、それが長い間調査・検討されてきた。その結果、歴史的に見て重要な価値をもつ木簡であるということが判明し、古草が萌え出すこのよい時期に、国宝に指定されることになった、というのである。地域にとっての誇りがまた一つ増えたと作者は喜ぶ。

レコードの音に疵あり昭和の日清水延世

 アナログレコードの人気が復活しているというニュースを最近聞いたことがある。作者もその魅力を知るおひとりなのかもしれない。
 今日は昭和の日。古いレコード盤を取り出して聴いてみる。懐かしい曲が流れてくるのであるが、ところどころにごつごつという雑音が入る。作者はその音を聞きながら、遠い日の記憶を甦らせる。誰彼とはなしに浮かんでは消える顔。思い浮ぶ様々な出来事。ひとり静かに過ごす時間である。

花びらのこつむじ生まる四脚門芦立多美子

  「四脚門」は、親柱の前後に控柱各二本を設けた門で、八脚門に次いで重要な門とされる。「こつむじ」は小さなつむじ風のこと。
 作者が、四脚門に差し掛かったまさにその時、足元に小さなつむじ風が立ち上がった。折から、周囲に散っていた桜の花びらが、そのつむじ風に巻き込まれるようにして集まっては立ち上がり、花びらの小さな柱が立ったのであった。シャッターチャンスよろしく、作者の目はその決定的な一瞬を見逃さず、十七音にうまくまとめたのである。

春愁の身に添ふるごと年を経て伊藤克子

 若い頃は、春愁も友達とおしゃべりしたり、笑いあったり、忙しく立ち回ったりしているうちに自然と遠のいていった。しかし、高齢になった今は、常にわが身に付きまとうかのように心の中から離れない。高齢者の寂寥感を比喩を用いてうまく表現している。
 筆者の周囲の俳句仲間を見渡すと、高齢でも元気に活動している人は多い。体が思うように動かなくなること、物忘れが激しくなること、心の中に巣くう寂しさ、年を取るということは辛い。しかし、それを肯いながら、ものに感動したり、季節の移ろいに喜びを見出したり、人との触れ合いに勇気をもらったりしながら、日々を充実したものにしていくことが大切である。俳句は、その重要な仲立ちをしてくれることをしばしば実感する。

雪解けの庭より失せしボール出づ渋谷香織

 春になって一面の雪が解けた。すると過日、ないないと探し回ったボールが、ひょっこり出てきたという。幼い子が遊んでいたものか、あるいは犬が毎日家人と戯れていたボールか。作者はそれを懐かしそうに手にする。
 積雪の多い地域ならではの句である。東京では降った雪も二、三日もすればすぐに溶けてしまうが、雪国ではそうもいかない。作者にとっては、きっと意味あるボールだったのであろう。手にした光景が浮かぶ。

あたふたと来て朝捕りと鱵置く林美沙子

 鱵の群れが岸に押し寄せ、早朝たくさん捕れたのであろう。知り合いの人が、あわただしく来ては、「朝捕りだよ。新鮮なうちに食べな」とでも言って置いていった。きっとまた別の家にでも寄るのであろう。「ありがとうね」と作者は、お礼の言葉を後姿へと送る。
 都会では、高齢者の孤独死のニュースがしばしば報じられる。しかし、地方ではまだまだ濃密な人間関係の中で、お互いに支えあって生活している。作者も早速届けてくれたその思いやりの心に深く感謝している。

苗札の立て込む小さき貸農園岡島清美

 作者のお住いの、東京郊外の貸農園での嘱目なのであろう。遊休地などを使っての貸農園には、ことに休日ともなるとせわしなく動き回る人の影が絶えない。
 取りたての野菜は格別美味しい。あれも作ろう、これも食べたいと耕作者の夢は広がる。その夢が「苗札の立て込む」に象徴されている。わずか何坪かの狭い畑なのでどうしても苗札も立て込むのである。

日の匂ひ土の匂ひや遠鶯青木民子

 嗅覚と聴覚の感覚の句である。さんさんと降り注ぐ春の光。黒々とした耕したばかりの土の匂い。遠くからは、鳴き始めたばかりの鶯のつたない声も聞こえてくる。
 作者は、感覚を通じて春の到来の喜びを表現してる。日の光には匂いはないが、明るい春の日差しを作者は心象としてこのように表現している。抑制の効いた心情句である。リフレインも効いている。

歩道橋桜の中へのぼりけり坂本知子

 「桜の中へのぼりけり」が見事な表現である。省略の効いたこの表現が掲句の妙味である。作者は、歩道橋の階段の下に立っている。見上げる階段の先には、満開の桜。歩道橋がまさにその桜の花の中へもぐりこんでいくかのように続いているというのである。
 桜の花と、人工物の歩道橋との取合せ。擬人法を用いることにより、歩道橋に意志を与え、両者をうまくつなげている。

北窓を開くれば光る遺影かな井川勉

 長い間閉ざしていた北窓を開けた。するとまぶしいばかりに光が部屋の中になだれ込んできた。その光に、掲げられていた遺影も急に輝き出したかのように見えた。それは、あたかも故人が生き返り、喜んでいるかのようでもあったという。
  「光る遺影」は、作者自身の春を迎えたことに対する喜びの気持ちでもあろう。