春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

自由時間 (54) 2017年11月号

江戸時代末期から明治時代にかけて、「江戸患い」と呼ばれる病気が流行した。のちにいう脚気である。  今では、ビタミンB1の不足が原因であると知れているが、その当時はわからなかった。

曾良を尋ねて(99) 2017年11月号

村上藩における曾良の扱いは別格であった。そのことから曾良は忠輝「隠し子」だと確信する。 芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」は佐渡の歴史的背景に対する様々な思いを自分の身に重ねて 生まれた名句である。

鑑賞 「現代の俳句」(114)2017年11月号

太陽の下ひまはりは冥き花   鈴木直充 大空に虹雨垂れの端に虹    松尾隆信 みな夢の世の一夜酒啜りけり  関成美

枕草子のおもしろさを読む(6)2017年11月号

「山は」章段には、十八の山の名があげられる。そのうち十四までが山の名のみであり、あとの四例は次のようにある。  「かたさり山こそ、いかならんとをかしけれ」、「あさくら山、よそに見るぞをかしき」、「おほひれ山もをかし」、「三輪の山、をかし」

衣の歳時記 (92) 2017年11月号

着物と襦袢の間に着る防寒用の「胴着」。大抵は真綿を薄く伸ばして綿入れに仕立てる。「胴衣」ともいう。素材は木綿、滑りの良い絹、縮緬など。黒の掛け襟を付けることもあった。胴着は江戸時代に作られたもので、用途によって色々な形になる。袖がなく、主に羽織の下に着ていたものが「袖無胴着」。「筒袖胴着」は袖が筒形で肌着として着用。真綿だけで作ったものは「負真綿」と呼ばれた。いずれも副季語である。

はいかい漫遊漫歩(74)(75)2017年11月号

不義密通はご法度の江戸時代、武士出身の俳諧師、有井湖白と駈落ちした築後国唐島(現久留米市)の庄屋の内儀、なみ、時に二十九歳。有井湖白は駈落ち後、湖白庵浮風と改号。なみも浮風の指導よろしきを得て腕を上げ、浪女(波女)と号する俳人に。浪女から雎鳩に改号。浮風が61歳で死去、その百ヶ日の忌に48歳の雎鳩は剃髪、諸九尼を名乗り、女宗匠を目指す。58歳のとき、諸九尼は芭蕉の「奥の細道」を辿り、奥羽行脚の記録を纏め上げる。夫、浮風の生まれ故郷、直方(現福岡県直方市)に居を移した湖白庵で養女の慈法に看取られて逝去。享年六十八歳。

自由時間 (53) 2017年10月号

今年は日印友好交流の年。というわけで日本及びインドの両国において様々な交流事業が実施されている。その一環というわけではないが、この9月、安倍首相はインドを訪問した。首相は、インドのモディ首相の案内で、かつてガンディーが住んでいたサバルマティ・アシュラムや二年前に開館したばかりのダンディ・クティール(ガンディー博物館)を訪れ、インド独立の父マハトマ・ガンディーのあの丸眼鏡や糸車などを観て彼の人となりとその偉業をともに偲んだ。 ガンディーの写真はたくさん残っているが、その中に大事そうに本を抱えて写っている写真がある。その本とは『バガヴァッド・ギーター』である。彼の愛読書である。

曾良を尋ねて(98) 2017年10月号

村上家での曾良への優遇は曾良がいかに身分が高かったのかが推測される。 伊勢長嶋藩の家臣の名簿には岩波庄右衛門正字が載っていなかったのは曾良と同一人物で あったと推測される。

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