コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦

(76)芸能人の遺した「辞世の句」

「お客様は神様です」の国民的演歌歌手、三波春夫。本名の北詰文司にちなんだ北桃子(ほくとうし)の俳号で俳句を詠んだ。
 平成13年(2001)2月、東京は大雪。雪国新潟県長岡出身の北桃子は、前立腺がんで入院中の病室から外を眺めながら、〈ふるさとを見せてやろうと窓の雪〉と詠む。付き添う長女の美夕紀が「辞世の句かしら」と問うと「そうかもな」と答え、続けてもう一句詠んだ。
 逝く空に桜の花があれば佳し         北桃子
 桜散る4月14日「ママありがとう。幸せだった」が最後の言葉。77歳没。

 女優、夏目雅子の決めぜりふは、映画『鬼龍院花子の生涯』での啖呵「なめたらいかんぜよ」。これも流行語に。夏目は写真家の浅井慎平主宰「東京俳句倶楽部」に参加、俳号は海童。〈結婚は夢の続きやひな祭り〉などの句がある。
 昭和60年(1985)2月、舞台『愚かな女』公演中に慶應義塾大学病院に緊急入院、急性骨髄性白血病と診断された。一時小康を得た雅子は、夫の作家、伊集院静に抱きかかえられて病室の窓越しに神宮の花火を眺める。防音ガラスの窓のため、音は聞こえなかった。
 間断の音なき空に星花火      海童
この句を詠んだ2か月後の9月11日、27歳で逝く。

 映画『男はつらいよ』シリーズの “フーテンの寅 ”役を27年間演じ続けた国民栄誉賞俳優、渥美清の俳号は風天。転移性肺がんで平成8年(1996)8月没。死後に223句を収めた『渥美清句集 赤とんぼ』(本阿弥書店刊)が出た。死の5か月前の詠句を、心優しい風天の辞世の句としたい。享年68歳。
ポトリと言ったような気する毛虫かな  風天(文中敬称略)

(77)二人の鉄ちゃん

 いまは故人となった二人の鉄ちゃんについて記す。
 まず、円谷プロの映画『ウルトラマン』『ウルトラセブン』の監督として知られ、後年オペラ演出にも進出、東京芸術大学演奏芸術センター教授も務めた実相寺昭雄。ATG長編映画『無常』では、ロカルノ国際映画祭グランプリを受賞。
 TBSのテレビ演出部を振り出しに映画、オペラ演出と活躍の場を広げた才人は、小学生時代からの鉄ちゃん、それも路面電車オタクだった。私的な趣味として楽しんでいたが、勧められて2001年にJTBから『昭和電車少年』を出版、貴重な資料本を残すことになった。筆者とは、大学時代の同人誌仲間。映画、演劇、音楽分野で存分に活躍、2006年、胃がんのため69歳で逝った。
 2014年、転移性肺がんにより78歳で亡くなった「レイルウェイライター」種村直樹は、故宮脇俊三とともに “乗り鉄 ”の世界を一つの文化、鉄道文芸に育て上げた功労者だ。1970年当時、筆者と同い年の種村は、同じ新聞社の社会部所属で、国鉄担当の同僚記者だった。鉄道にのめり込んだ彼は、73年、「レイルウェイライターという分野を開拓するためフリーになる」と退社。以来40年、鉄道専門ライターとして “乗り鉄 ”文化を宮脇とともに築き上げた。
 1980年から30年、延べ495日かけて鉄道による列島外周踏破の日、東京・日本橋に200人のファンが詰めかけ、達成を祝福した。(文中敬称略)

秩父嶺に雪来しといふ初電車皆川盤水 

おとなしく人混みあへる初電車武原はん        

電車行くそばに祭の町すこし高浜虚子

日脚伸ぶ電車の中を人歩き神蔵  器

故郷の電車今も西日に頭振る平畑静塔      

準急のしばらくとまる霞かな原田  暹