自由時間 (56) カズオ・イシグロ氏の記念講演          山﨑赤秋

 去る12月7日、ストックホルムのスウェーデン・アカデミーでカズオ・イシグロ氏が、「私の二十世紀の夕べ─そしていくつかのささやかな発見」と題するノーベル文学賞受賞記念講演を行った。
 五十分の講演の全文をここに掲載することはもちろんできないので、終章を訳出する。
 

   そこに至るまでに、五歳で渡英してから家では日本の生活、外では英国の生活という二重の文化の中で成長したこと、文学修行をどのようにやったかということ、最初の二つの小説は自分の頭の中の日本を記憶にとどめるために書いたこと、小説を書く上でプルーストの「失われた時を求めて」やトム・ウェイツをはじめとする歌手の歌からいろいろなヒントを得たこと、アウシュヴィッツ強制収容所に行って記憶と忘却について考えるようになったこと、ハワード・ホークス監督の映画「特急二十世紀」を観ていて、小説では登場人物間の興味深い人間関係が重要だと気付いたこと、などが述べられている。
 そして最終章。
 

 私は最近、自分がここ数年バブルの中で暮らしていたことに気が付いた。周りの多くの人々の不満や不安に気付かなかった。皮肉で自由主義的な人々で満たされていて、文明的で刺激的な場所である私の世界が、想像していたよりもはるかに小さかったことに気が付いた。ヨーロッパとアメリカで驚くべき(私にとっては憂鬱な)政治的な出来事があり、世界中で反吐の出るようなテロ行為が起こった2016年は、子供のときから当然のことのように思っていたリベラルな人道主義的価値のたゆまない前進が幻想であったかもしれないということを私に否応なしに認めさせた。
 私は楽観主義に傾いている世代の一員である。私たちは、先人たちがヨーロッパを、全体主義体制、大量虐殺、歴史的に前例のない大虐殺の場所から、国境のないような友好溢れる自由な民主主義の大いにうらやむべき地域へと変えることに成功したことを見た。私たちは、古い植民地帝国が、それを支えていた非難に値する前提と一緒に世界中で崩壊するのを見た。私たちは、フェミニズム、同性愛者の権利、人種差別に対する第一線での闘争において重要な進展を見た。私たちは、資本主義と共産主義の間のイデオロギーの対立と軍事衝突を背景に成長し、多くの人が幸せな結論であると信じていたものを目の当たりにした。
 しかし、いま振り返ると、ベルリンの壁崩壊以後の時代は、自己満足の時代、失われた機会の時代のように思われる。富と機会の巨大な不平等は、国家間でも一国の内部ででも拡大されている。特に、2003年のイラクへの悲惨な侵略、2008年の恥ずべき経済破綻に伴う一般市民に課された長年の緊縮政策は、極右イデオロギーと民族ナショナリズムの蔓延をもたらした。人種差別は再び盛り上がり、埋められた怪物が目覚めたかのように私たちの文明化した道路の下で揺れ動いている。現時点では、私たちを団結させる進歩的な目標がない。代わりに、西側の裕福な民主主義国でさえ、資源や権力のために激しく競争してお互いライバルのように分裂している。
 科学、技術、医学はいま曲がり角にさしかかっている(もう曲がったのかもしれないが)。それらの目覚しい発展によりもたらされた課題が山積している。CRISPRと呼ばれる遺伝子編集技術などの新しい遺伝子技術や人工知能とロボット工学の進歩は、私たちに素晴らしい救命効果をもたらす一方で、アパルトヘイトに似た野蛮な能力主義や現在のエリート専門家も含む大規模な失業をもたらすかもしれない。
 いまこの時、私は、六十代になって、霧の中で目をこすり、昨日までその存在を疑いもしなかったこの世界に輪郭を描こうとしている。知力の衰えた世代の老いぼれかけた作家に、この馴染みのない場所を見るエネルギーが残っているだろうか?私に、社会が巨大な変化に適応するために悪戦苦闘しているときに起る、議論、闘争、戦争に全体像を提供し、幾重にも重なる感情をもたらすのに役立つ力が残っているだろうか?
 私はできる限りのことを継続して行わなければならないだろう。なぜなら、文学は重要だと私はまだ信じており、この困難な土地を越えていくときにはなおさらである。しかし私は、我々を鼓舞し、導いてくれる、若い世代の作家たちに期待している。今は彼らの時代であり、彼らは私には欠けている知識と本能を持っている。いま、書籍、映画、テレビ、劇場の世界では、四十代、三十代、二十代の男女が、冒険的でエキサイティングな才能を見せている。だから私は楽観的だ。
   そして最後に、ノーベル財団へのアピールと謝辞で講演を締めくくった。
 

 サロンのような狭い世界ではなく、より多くの人が加われるように、文学世界の領域を広げるべきこと、文学の定義・範疇を狭く考えないでいろいろなジャンル・形式を認めるべきことを提案し、「分裂の危機が高まっているときには、十分に耳を傾ける必要がある。良い著作と良い読書は障壁を打ち破る。私たちは、再結集できるような新しいアイデア、素晴らしい人道的ビジョンを見つけることができる」と結んでいる。