鑑賞「現代の俳句」 (98)         蟇目良雨

 

少年が蟻をこぼしてゆきにけり 石田郷子[椋・星の木]

「俳壇」2016年5月号

 目の前を過ぎ去った少年が何匹かの蟻をこぼしていったと いう光景。作者は、少年がどこにいて蟻を体に付けて戻って きたかに思いは馳せたのであろう。こぼした小さな蟻を見つ けた作者の目力で物語はどんどん膨らんでゆく。

 

わずかなる落差をひかり春の水 松岡隆子[朝]

「ウエップ俳句通信」91号

 水口や小川の堰のようなところを流れ落ちる水の光を言っ たのであろうと思うが、落差と表現したことで景色が普遍的 になったようだ。静かな春の水の光景が広がっている。

 

貼り交ぜる切手とりどり巣立鳥 岩淵喜代子[ににん]

「俳壇」2016年6号

 料金収納のスタンプが押された郵便物は見てもさみしいも のである。高が切手であっても、切手の貼られた郵便物は差 出人の気持が伝わってくるから不思議だ。それも切手を貼り 交ぜにすると華やかな気持ちにさせられる。実際に郵便物を 出すときに効率を考えれば一枚の切手で済めばそれに越した ことはないのだから、貼り交ぜにするのは、色々相手のこと を考えながら切手を選んで楽しんでいるのではないだろうか。 差し出す相手は巣立鳥のように若々しい人と思って鑑賞した。

 

指切の指のつめたし月見草 小川軽舟[鷹]

「俳壇」2016年6月号

 「指切げんまん、嘘ついたら針千本飲ます」は幼き日の約束 を守らせるときのおまじない。小指同士を絡ませて上下に強く 振ったものだ。小さい頃だったので指の冷たさなど感じたこと が無かった。しかし掲句はそんなのどかなものではなさそうで ある。月見草の見えるところで指切をするとは、命を懸けた恋 をお互い守ろうとする凄味が出て来る。「富士には月見草が似 合う」と宣った太宰治の影が句の裏側にちらつき始めた。

 

梅を干す安堵や星の筑波山 嶋田麻紀[麻]

「俳壇」2016年6月号

 細見綾子に〈青梅を洗ひ上げたり何の安堵〉(『和語』)が ある。これは梅を漬ける前の気分を詠ったもの。掲句は梅漬 けが終りそれを天日に干した一日目の感懐。梅をようやく干 すことが出来た、ふるさとの守護神の筑波山まで星をかざし て喜んでくれていると祝している。筑波山の周辺は果樹の豊 かなところ。さぞ美味しい梅干しができることであろう。

 

白梅の蘂が見え出す昼の酒 高野ムツオ[小熊座]

「俳壇」2016年6月号

 時間経過をうまく表現したと思った。酒を飲む我はだんだ んに酔ってきて卓上に差された枝に顔を近づけて梅の花の蘂 を覗きこむ形になってしまい、梅の花といえばどんどん開い て蘂を丸ごと見せる程になってしまった。祝宴での室内の景 か、屋外での景か不明だがこんなことでも一句になるという 好例であると思った。

 

蟇一歩二歩ひきかがみ伸びしまま 行方克巳[知音]

「俳壇」2016年6月号

ひきがえるが一歩二歩と前進したがそこで凍り付いたよう に動作を止めた様子を描いた。調べてみると「ひきかがみ」 とは足の膝の真裏の部分を言うとある。「うつあし」「よぼ ろ」「よぼろくぼ」などとも言うそうだ。日本語の奥の深さ を感じさせる言葉である。こう言われてみるとひきがえるが 片足を伸ばしたまま静止した姿を思い起こすことが出来る。 そのとき見せる「ひきかがみ」の白さが大変印象的である。

 

古書店に自著を見つけて春惜しむ 遠藤若狭男[若狭]

「俳壇」2016年6月号

 作者は鷹羽狩行や寺山修司の研究者として名を成している。 句集も含めてどの自著とは言っていないが、古書店の書棚に 陳列され売られている自著を見つけて分身のごとく懐かしん だのであろう。「春惜しむ」が自身の青春を懐かしんでいる ように響いてくる。

 

金管に映る森の木百千鳥 村上鞆彦[南風]

「俳壇」2016年6月号

 句意は森の中で金管楽器を鳴らしていると百千鳥もそれに 和したということ。しかし、掲句が視覚的に洗練されている ことを忘れてはならない。トランペットなどの金管楽器の真 鍮の表面に映る森の木々の美しさが、楽器の奏でる曲や百千 鳥の歌声をいやが上にも修飾してくれるからだ。

 

少し寝てまだ途中駅諸葛菜 山西雅子[舞・星の木]

「俳句」2016年6月号

 うまいことを言うものだ。旅というほどで無くても片道一 時間ほどの距離の電車に乗車する場合、居眠りをすることが ある。目が覚めるとそこは未だ途中駅であり、窓外に目を凝 らすと青々と諸葛菜が見えたという。都会の駅でも諸葛菜が 敷地内にはびこっているところは沢山ある。多くの人が共感 する句ではなかろうか。

 

囀を仰げば柄長そのかたち 本井英[夏潮・珊]

「俳句」2016年6月号

 囀を見上げてみればそこに柄長鳥が見えたという句意なの だが、鳥の形が柄長鳥の謂れになった柄長柄杓の形そのまま に見えたところに作者の驚きがある。柄長の謂れを知った上 での作者の知的な働きが一句になった。

 

五寸釘浮くや地獄の釜の蓋 藤本美和子[泉]

「泉」2016年6月号  八王子の周辺を歩くと地獄の釜の蓋の花に会うとしきりに 聞く機会がある。地獄の釜の蓋はキランソウという紫蘇科の 植物である。(開花期の全草は筋骨草という生薬である。高 血圧、鎮咳、去淡、解熱、健胃、下痢止めなどに効果がある とされるが、民間薬的なものである。別名をジゴクノカマノ フタというが、これは「病気を治して地獄の釜にふたをす る」ということからである)と調べたらあった。そのキラン ソウが五寸釘を持ち上げていたという。地獄の釜の蓋に打ち 付けてあった五寸釘が外れていたような暗喩が面白い。

 

胸ひらきけり左義長の高炎 鈴木しげを[鶴]

「鶴」2016年6月号

 どんど焼の大きな炎が割れて動くさまを「胸開く」と表現 した珍しい句である。炎がまるで人間のように意思を持つか のように描かれている。写生の究極に辿り着く物の見え方で あると感心した。

 

春の滝余滴のごとく鳥よぎる 鈴木志美恵[薫風]

「薫風」2016年6月号

 春の滝からほとばしった滴のように鳥が滝の前をよぎった と看做した一句。余滴の言葉使いが巧みである