鑑賞「現代の俳句」(101) 蟇目 良雨

 
 
おほらかに日へひらききり大賀蓮鍵和田秞子[未来図]

「俳句四季」2016年9月号

2000年前の地層から見つけ出された3粒の蓮の実のうち唯一粒が奇跡的に開花し現在に花を咲かせているのが大賀蓮。発掘を手伝った女子中学生が実を発見したなどロマンが積み重なっているから花を見る目も夢見がち。掲句は縄文時代人になりきって大賀蓮を鑑賞しているのであろうか、縄文人の性格を特定する「大らか」さ、太陽を崇める態度としての「日へ開き切る」という措辞が私達を古代へいざなってくれる。純真無垢の心で蓮を愛でている様子が伝わってくる。
 
竹夫人陰干しされてをりにけり土肥あき子[絵空]

「俳句四季」2016年9月号

一読して、ご婦人が陰干しされていることにびっくりさせられてしまう。よく読めば竹夫人のことなので安心するが17文字で読み手を驚かせることが出来る会心の作になった。近年竹夫人が目につかないのは住宅事情にあるだろう。大人一人分の大きさの竹で編んだ人形の上に、仰臥スタイルのままで正座して身の丈を小さくすることもできない融通の利かないご婦人だから、家の中に居場所がなくなっているのである。竹夫人一人くらいを家に置けないようでは一人前の男と言えないと思うがどうだろうか。
 
やどかりに放課後の黙きてゐたる服部早苗[空]

「空」2016年8・9月号

教室で寄居虫を飼っているのだろう。生徒が帰宅して放課後の教室を見回るとそれまで動き回っていた寄居虫がすっかり静かになっていたというのが掲句の意である。寄居虫も生徒の動きに合わせて教室の一員になっていたと思わせる作り方が秀逸。海の生き物を水槽などで飼うことは難しいとおもうのだが、今では特殊な方法が開発されていて飼い易くなっているのだろうか。寄居虫を教室で飼っている学校に通いたくなる気持ちにさせてくれる。
 
晩涼の水を吐き出す水枕鈴木節子[門]

「門」2016年9月号

水枕の句といえば〈水枕ガバリと寒い海がある 三鬼〉を思い出すが、こんな句を私たちが作ったところで怪我をするばかりである。掲句は夏風邪でも引いたのであろうか、少し温まった水枕の水を排水すると気化熱を奪って周りの気温が下がった感じを受けたという句意である。暑いさなかであるから僅かな気温の低下でも感じるということを体験している私達によく理解できる内容であり、晩涼の季語がぴたりと決まっていて気持ちの良い句になった。
 
宝形の千年の屋根ほととぎす水田光雄[田]

「田」2016年9月号

宝形(ほうぎょう)という言葉を知らなかった。建物の屋根の形が真上から見て方形(正四角形)の作り方を方形(ほうぎょう)とか宝形(ほうぎょう)という。具体的にどんなところにあるかと言えば、いわきの白水阿弥陀堂を思い起こせばよい。上から見下ろすと方形になっている。掲句は千年経った宝形の屋根の上をほととぎすが鳴いてわたっているというのである。方形と言えば見たままの俳句になってしまうが宝形と言い直すことによって歴史を感じさせる空間が現出した。言葉の力である。
 
百日紅幹のもつとも濡れゐたる藤本美和子[泉]

「泉」2016年9月号

家の近くに百日紅を咲かせている家がある。塀を乗り出して通りにゆったりと枝を伸ばしている。秋彼岸になっても赤花を咲きこぼしている。この生命力はどこからくるのであろうかといつも不思議に思っている。作者は花を付けている百日紅に触れてみると葉や花よりも幹が濡れているように感じられたというのである。生命力の不思議さを触れて確かめようとする作者の態度に共感して掲句を選んだ次第。
 
「小椿居以後」の月日や古茶新茶鈴木しげを[鶴]

「鶴」2016年9月号

しげを氏は波郷の創刊した「鶴」第4代主宰。3代目主宰星野麥丘人によく仕えた。麥丘人は2013年5月、88歳で死去。句集『小椿居』が自身最後の句集であったが、しげを現主宰の元で遺句集『小椿居以後』が刊行された。したがって掲句は『小椿居以後』が発行された2014年5月以降現在までの月日の経過を偲びつつ古茶新茶を味わっているという解釈になる。句集の題名からすぐさまに月日の経過へ結びつける発想は中々出来るものではない。先師と片時も離れることのなかった作者への先師からの贈り物とも思える。
 
月の滝浴ぶるや不老飲めば不死片桐てい女[春燈]

「春燈」2016年9月号

月にまつわる話の一つに中国では嫦娥のことが挙げられる。最愛の夫が道士から貰った不老不死の薬を悪人から守るために自ら飲み込む仕儀になり不本意ながら月に登ってしまったという話だ。中秋の名月がかくも美しいのは嫦娥が月面から地上に残した夫へ愛の証を送っているためと言い伝えられている。嫦娥の服用した不老不死の薬効成分は今も月に残っているのだろう、月光を浴びた滝の水を浴びれば不老の働きがあり、飲めば不死になることが出来ると作者は信じているのである。滝の水を援用したのは日本には養老の滝に不老不死の言い伝えがあるからだと思う。いつまでも元気で長生きを願うとこのような佳句に出会えるということだと思った。
 
振り向けば四万六千日の闇戸恒東人[春月]

「俳句」2016年9月号

四万六千日は浅草観音に7月9,10日に詣でると四万六千日分詣でたと同じ功徳があると言われる日。スーパーなどでポイントが何倍もつくといったお得な日と思えばいい。この日に鬼灯市が開かれる。四万六千日分お得ではあったが、振り返り見ればそこには四万六千日分の闇も横たわっていたことに気が付き作者は愕然としたという句意。楽あれば苦もあるということか。
 
いつか来る登る日が来る雲の峰渡辺恭子[新月]

「俳句」2016年9月号

雲の峰に登ると考える発想は中々出来ない。これは自らの昇天が近いことを句に表現したものだがこのように言われると共感せざるを得ない。地球温暖化の影響で雲の峰もより巨大になっているのではないだろうか。
 
白南風や古地図の海に舟描かれ中根美保[一葦]

「一葦」2016年7・8月号

江戸の絵地図は家々に表札を掲げない武家屋敷を訪ねる時に迷わないように作られたもの。色刷りで判り易かった。大川や江戸前の海に白帆を掲げた舟が描かれていたりすると見た目にも涼しさを呼び込む。白南風が効いている。