鑑賞「現代の俳句」(108)           蟇目良雨

炊き出しに竝ぶ毛布の穴から手 中原道夫[銀化]

「俳句」2017年4月号
 中原氏の作品は「インド二〇一六・冬」と題して三六句が発表された。その中の写生の効いた一句をここに紹介する。炊き出しに並ぶ貧しい人がかぶっているのはぼろぼろの毛布。その毛布の穴から炊き出しの食料を求めて空き缶のようなものが突き出されたのだろう。億万長者が多いのもインド、このような貧民の多いのもインドの現実である。

ぶつかけて飯をはげます根深汁 松浦敬親[麻]
「麻」2017年2月号
 池波正太郎が藤枝梅安に語らせて「葱と味噌さえあれば十分」できる料理が根深汁。冷や飯にかけてさらさらと掻っ込めば腹は満ちて体が温まってくる。掲句、まさにこの場面通りである。励まされるのは飯。熱々の根深汁をぶっかれれば冷や飯も励まされるということ。そして食べる人も励まされること請け合いである。

はるかなる山を越え来し雪をんな 水田光雄[田]
「田」2017年3月号
 豪雪地帯の人たちの雪に閉じ込められた中での息抜き話のようでもあるし、本当に人を凍死させる怖い教訓めいた話のようでもある雪女のことには誰もが興味を示すようだ。好きに想像を働かせることが出来る季題であり、かなり具体的な映像の雪女像が作られてきた。掲句は遠い山を越えて来たとしか言っていないが雪女の苦労を偲ぶ形になっている。同時にそこに住む民の苦労をも暗示している。

年玉やこけしのやうに子は並び 三上程子[春燈]
「春燈」2017年4月号
 お年玉を配るときの光景。一昔前なら子沢山の家庭では当たり前に見られたのではないだろうか。お年玉を上げる時に親の前に並ぶ年の違う子供たちは背丈もばらばらで、こけしが並ぶように見える。また、親戚の家で新年会を開くと大勢の子供達が集まる。全員に漏れなくお年玉を配るときは、まさに掲句の光景となる。こけしと言ったのは皆可愛らしいからである。

初みくじ暗きところに来て開く 小林愛子[万象]
「万象」2017年4月号
 最近おみくじを引かなくなった。十分年を取って先が見えて来たことが原因なのだろうか。おみくじには何か期待するものがある筈で、掲句の作者は何を期待したのだろうか。しかも他の人には見られたくないのだろう、暗がりに移動しておみくじを開いたという。
 神仏に頼る、おみくじに願いを期待するという行為は心が敏感な人だから行うのだと思う。心の初々しさがにじみ出ている句と思った。同時作〈麦飯の歯応へも松過ぎにけり〉。お正月料理にやや飽きて、麦飯を噛むときの歯応えに普段の生活のよろしさを思い出した作者の鋭敏な感覚が見て取れる。

法螺貝の内のくれなゐ春を待つ 岸原清行[青嶺]
「俳句」2017年2月号
山岳信仰には欠かせない法螺貝。山から山へ確実にその音が伝わった。戦国時代には戦の開始を告げる合図に鳴らされ、旧陸軍では進軍ラッパが鳴らされた。
 真言系の寺院は山岳宗教の色が濃いので私たちは法螺貝の音を聞く機会が多い。高尾山、羽黒山、吉野山でもよく法螺貝の音を聞くことが出来る。作者は九州の方だから修験の山として英彦山が思い浮かぶ。法螺貝の音でなく貝の内側の色のくれない色に着目したが、くれない色が待春の情とよく合っている。

口開けて鯉の集まる涅槃かな ほんだゆき[馬醉木]
「馬醉木」2017年3月号
 釈迦入滅の日とされる陰暦2月15日は日本の各地の寺で法会が行われる。釈迦の死を涅槃と呼んで悼むためである。生きとし生けるものは釈迦の恩寵に感謝し、みな嘆き悲しんで哭き伏した様子が涅槃図に描かれている。この図には水中の生き物は描かれていない。
 作者は魚さへも嘆き悲しんでいるだろうと想像を加え、寄り集まった鯉が口を開けているのは悲しみの表現なのだと言外に語っている。

追伸のごと三更の牡丹雪 伊藤康江[萌]
「萌」2017年3月号
 三更は午後十一時から午前一時にかけての二時間の時刻。牡丹雪が夜に入って一旦やんだのを見届けた作者が、気になって三更の頃に外を見たところまた降っていたことを追伸のようだと感じたことが句意。手紙を書くときに追伸という言葉を使うのは親しき人に対することが多い。深夜に、追伸の如く春の牡丹雪が降りだしたとは「貴女だけに深夜の牡丹雪の美しさを見せてあげよう」というところか。

朝日差す方に巣箱の穴を向け 後藤 章[少年]
「少年」2017年3月号
 巣箱を懸ける時に巣の口を朝日の差す東に向けたというのが句意。巣箱はばらばらに掛けられているようだが、鳥たちの都合も考えてかけられていることを教えられた。朝日が差すと起きだして日暮とともに眠る鳥たちの天然の生活のリズムを大切にする野鳥愛好家の優しさが思われてくる。

存念の山をはるかに種おろす 三田きえ子[萌]
「萌」2017年4月号
 存念の山とはいつも気にかけている山のこと。ふるさとの山であり農鳥や雪形が見える山なのだろう。その山を見ながら、八十八夜が近づいたので苗代に種籾をおろしたというのが句意。ふるさとの山としても意味は同じように思えるが、存念としたことにより一層の深みが生じた。詞を選び句を磨きぬいたといえる。

出戻りはざらなり三味線草の花 嶋田麻紀[麻]
「麻」2017年3月号
 世相を写し取った句といえようか。最近は出戻りの人が多いですねと言っている。結婚は地獄の始まりと言えなくはなく、ただ、このことを結婚前の人たちに教えてあげる人は皆無である。それまで赤の他人であった者同士が一緒になるのだから、並大抵の努力では維持できないのが結婚生活。経済的にも簡単に収入が得られる世の中になっているので旦那に頼らなくても何とか生活が出来そうに思える。そんな思いを抱く女性が増えて出戻りが多くなっているのだろうか。三味線草を見てこんなことを思いついた作者の感受性に脱帽。出戻りの女性のその後の人生がぺんぺん草も生えない荒地にならないように祈るばかりである。

鷹鳩と化して横綱稀勢の里 今瀬剛一[対岸]
「対岸」2017年4月号
 横綱稀勢の里の誕生は日本人相撲ファンの長年の願でもあり、特に出身地茨城県の人にとっては誇りになっている。春場所の満身創痍の体で臨んだ優勝決定戦はレジェンドになった。「水戸っぽ」の作者にとってはどうしても俳句に残して上げたい対象になったのだろう、稀勢の里で二〇句を作るほどであった。その中からの一句のみで申し訳ないが、鷹のごとく激しい相撲をとるが鳩のように優しい人柄をみごと言い当てている一句である。

亀鳴くと小さな嘘のうつくしき 仁平 勝[件
「俳句」2017年4月号
 亀鳴く、蚯蚓鳴く、雀蛤に化す、鷹鳩と化すなど俳句には現実には起きえないことが季語になっていて、私たちは大まじめでこれらの季語と格闘している。大真面目だからこそ日本は穏やかで争いのない国なのだと思う。春になって亀の鳴くころの小さな嘘はうつくしく感じられると皆が思えるのは平和の証。

( 順不同・筆者住所 〒112-0001 東京都文京区白山2-1-13 )