鑑賞「現代の俳句」(114)                     蟇目良雨

宰相の嘘つく世なり浮いて来い福島せいぎ[なると・万象]
「万象」2017年10月号
 戦争の時代の真実が明らかにされつつある現代になって、国家とは個人にとって何なのだろうかという疑問が更に強くなってくる。例えば現代の中国では国家は信用されず、機会があれば海外に一族郎党と財産を移したいと願う民が多いと聞く。日本人の多くはまだ、先祖の墓に葬られたいと願っていることは日本人は国家を慕っている証なのであろう。しかし実際は、為政者にとって国民は単なる選挙権の一票に過ぎなく政権が安泰であれば国民はどうでもよいと感じられてならない。作者は徳島在住のお坊さんで、徳島から三木武夫という名宰相が出たがそれと較べて、現今の宰相の数々の嘘が気になったのだろう。同時作〈湯あがりの子のおちんちん天瓜粉〉のように偽りのない純な生活を最上のものとされているから辛口の掲句が出来たのだと思った。

太陽の下ひまはりは冥き花 鈴木直充[春燈]
「春燈」2017年10月号
 炎天下であっても向日葵の花に冥さを感じている作者。
 そういえばゴッホも「ひまわり」の絵で蕊に暗さを表現している。それがあの向日葵の絵の価値なのだ。明るさの中に暗さを見つけることが出来るのが詩人の証しである。

大空に虹雨垂れの端に虹 松尾隆信[松の花]
「松の花」2017年10月号
 美しい写生句。大空に虹がかかっていると同時に軒下や葉末から落ちる雨垂れの端に虹が宿っているのが見えた驚きを一句にしたもの。近景に雨垂れの虹、遠景に大空の虹が描かれ一幅の絵になっている。

みな夢の世の一夜酒啜りけり 関成美[多磨]
「多磨」2017年10月号
 白米を炊いて搗きつぶし米麴とまぜて密封して一晩置くと、醱酵してできることから一夜酒(ひとよざけ)といわれる。現在の白酒のこととみなして良い。江戸時代には暑気を散ずるとして夏に好んで飲まれたが、夏季に不足するビタミンなどを摂取する効能もあった。さらにその昔は未婚の乙女がかみ砕いた飯から作ったこともあるとされ一夜酒にはロマンがある。老若男女の好むところから誰もが飲んだ経験があり、それぞれに一夜酒との思い出があることだろう。「みな夢の世」の思い出である。

爽やかやひと日を父の忌に集ひ 徳田千鶴子[馬醉木]
「馬醉木」2017年10月号
 馬醉木の水原春郎先生が亡くなってからもう一年が経つという。水原秋櫻子亡きあとの馬醉木を守り徳田千鶴子氏に引き継ぐ大きな仕事を成された。「爽やか」の措辞は春郎先生のお人柄に通じると共に馬醉木を通底する雰囲気だと思う。佳き「父恋いの句」が出来、泉下の春郎先生も喜んでおられることだろう。
 同時作〈ひととせの早さよ母に秋日濃し〉はお母さまのことを詠ったもの。一連の句の題に「ひと日ひととせ」とつけられてことに父母を思う気持ちが十分に籠められていると感じた。

一木を虫の行き交ふ鬼城の忌 三田きえ子[萌]
「萌」2017年10月号  
 村上鬼城の忌日は9月17日。境涯を小動物に仮託して詠んだ鬼城の句は人の心を打つものが多い。明治初年に蛇笏、普羅、石鼎とともにホトトギスの黄金時代を築いた。
 〈夏草に這ひ上りたる捨蚕かな〉〈冬蜂の死にどころなく歩きけり〉など名句を残してくれた。庭木を眺めていると様々な虫が行き交っている。鬼城の忌日を虫たちは知っているかのようであるとして一句が成り立ったのではないだろうか。

天山へ首振りながら馬肥ゆる 岩淵喜代子[ににん]
「ににん」2017年秋季号
 中国の西域に天山山脈が横たわっている。万年雪が地下に沁みとおりカレーズとなり一帯の砂漠地帯に農業を齎している。秋の取入れの候に首を振りながら荷車を引いている馬なのであろうか、天山へ挨拶を交わしているように見えると想像できる。

新盆の回向が六つ谷の村 宮田正和[山繭]
「山繭」2017年10月号
 作者の知り合いの谷の村なのであろう。今年の新盆に回向が六つ出来したことを驚いている。高齢過疎の村が想像される。

爽涼の幹撫でにけりプラタナス きちせあや[泉]
「泉」2017年10月号
 プラタナスで思い出すのは〈プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ 波郷〉の句である。プラタナスは街路樹に植えられていて住民に親しまれている。校庭にあれば大きな緑蔭を作り生徒たちの溜り場になった。作者は青々としたプラタナスの幹を撫でながら爽涼の季節の到来を楽しんでいる。

(順不同・筆者住所 〒112-0001 東京都文京区白山2-1-13)