鑑賞「現代の俳句」 (120)                     蟇目良雨

 

冬の山その謐けさを畏れけり 稲田眸子[少年]
「少年」2018年3月号
 松本たかしに〈冬山の倒れかかるを支へ行く〉がある。戦時下の息苦しさを天竜峡を遡ったときに感じた一句だ。掲句は現代の冬山の様であり、一鳥声も吐かない冬山のしずけさを畏れる。心象として感じると同時に登山を好む作者の実体験からの畏れでもある。

遠雪嶺さらにしづかに父います橋本榮冶[枻]
「枻」kai 2018年4月号
 雪嶺を遠望しそのしずけさに身ほとりの父のことに思いが重なる。今、父はさらに静かに最後の生を生き抜いておられるのだろう。

雁の旅寝も寒き風の音市堀玉宗[枻]
「枻」kai 2018年4月号
 「雁(かりがね)寒き」の季語を分解して一句を成した。極北の地からやってきた雁にとって日本は旅寝の土地。寒風が吹きすさび決して居心地が良いとは思えないがこれも定めである。古格のよろしさを感じた。

雪嶺はるか桃源のごと真かがやく古田紀一[夏爐]
「夏爐」2018年4月号
 はるかに見える雪嶺のかがやきを桃源郷の色と看做した句。「真かがやく」が力強い表現。桃源郷は心の内にある理想郷。雪嶺の清浄なるかがやきを己の桃源郷の色として見いだせた作者は幸せである。

山茶花を咲かす力がまた散らす 飛高隆夫[万象]
「万象」2018年4月号
 山茶花は不思議な花。懸命に咲かせるかと思うと、懸命に散らせている。咲かす力が散らせる力と一緒であると気づいた作者の安堵感がある句。

空っ風今も正造叫(おら)びおり西村睦子[多摩青門]
「多摩青門」2018年春号
 正造は田中正造のこと。渡良瀬川の鉱毒を阻止しようと生涯をささげた下野の政治家。荒凡夫になり明治天皇にも直訴した豪胆な人物像が空っ風の音に託されている。この辺りは日光颪も赤城颪も吹くところ。

老人のわるさごころや竜の玉鈴木節子[門]
「門」2018年4月号
 老人の「悪さ心」とは、老人の智慧と置き換えていい。葉陰に隠れているが探せば次々と出てくる竜の玉のように。

家々に波涛のごとく雪の嵩 (五八豪雪以来の大雪) 中坪達哉[辛夷]
「辛夷」2018年4月号
 平成30年の豪雪の富山の景色。雪下ろしを繰り返し繰り返し家々の前に積もった雪の嵩は波涛のように見えたという。(昭和の)三八豪雪、(昭和の)五八豪雪の言い方に倣えば(平成の)三〇豪雪と言えようか。

ボロ市のぼろの一つの日本刀 柏原眠雨[きたごち]
「きたごち」2018年4月号
 世田谷ボロ市の光景。安土桃山時代にルーツがある楽市が原形らしい。ぼろはもともと衣類の襤褸のことなのに今では日本刀まで売っているのかと面白がっている作者。哲学者らしい発想と思った。

残雪のごとく生きのび九十五に蒲原ひろし[雪]
「雪」2018年4月号
 医療環境が整い長寿社会になったとはいえ95歳まで生きのびてきたことを驚く作者。残雪のごとという比喩は、薄汚れてもしぶとく長らえる残雪のしたたかさを思い起こさせ納得させられた。高野素十研究の第一人者。「雪」を主宰し俳句と医学史研究を現在も鋭意続けておられる姿に感銘する。

春かなし何気なく淹れ二つの茶 和田順子[繪硝子]
「繪硝子」2018年4月号
 いつものように二つ茶を淹れたのであったが、必要なのは自分用の一杯だけ。無意識に今は亡き連れ合いに茶を淹れてしまった習慣を哀しむ春のひとこま。

春宵やそだねえジャパン五度も見て 朝妻力[雲の峰]
「雲の峰」2018年4月号
 ピョンチャン冬季オリンピック・パラリンピックで活躍した日本女子カーリングチームは「そだねえ」の掛け声と共に見事銅メダルを獲得。作者はその試合の場面も五回見てしまったというのが句意。元気な掛け声の中に亡き妻の声も聞き出したのかもしれない。

満月のおぼろに歌のおのづから 檜山哲彦[りいの]
「りいの」2018年4月号
 満月の朧月を見て歌心の湧かない人はいないだろう。ある年代以上は童謡が刷り込まれているのだから。

佐保姫にまみえて少しときめきぬ遠藤若狭男[若狭]
「若狭」2018年4月号
 佐保姫を詠う作品はごまんとあるが、どれも具体的すぎてやり過ぎの感がある。掲句のように春らしくふんわりとした心象が出せたのは多作多捨の努力の結果だと思った。

(順不同・筆者住所 〒112-0001 東京都文京区白山2-1-13)