衣の歳時記(87) ─紅の花 ─                                         我 部 敬 子

 

 新緑が目に見えて濃くなり、風景に馴染んで万緑へと移る6月。麦は刈り取られ稲作が始まる。山形県では、一面に広がる紅花畑の花が咲く頃となる。

峠より日が濃くなれり紅の花皆川盤水

 6月から7月にかけて薊に似た鮮やかな黄色の花を咲かせる「紅の花」。開花して数日すると赤味がさしてくる。花から口紅や染料、顔料を作り、種子は食用油となる重宝な植物である。「紅花」「紅粉花」「紅藍花」とも表記され、古名の「末摘花」と共に副季語。

裸子に甚平著せよ紅藍の花高浜虚子

 
 紅花は古代エジプト原産で、日本へは推古天皇の頃朝鮮半島から渡来。『万葉集』にも詠まれている。当初は、呉の国から来た藍(染料)という意味で「呉藍(くれのあい)」と呼ばれ、転じて「紅」という字が充てられた。古くから花は染料や婦人病の薬として栽培されていた。
 江戸時代になると各地に広がり、奥州・羽州で盛んに生産。特に「最上紅花」は品質に優れ有名であった。紅花は紅餅に加工し、西廻りの北前船で京都方面に出荷された。当地では紅花大尽が羽振りを利かせた。
 芭蕉は『奥の細道』の旅で、紅花問屋の鈴木清風の世話で尾花沢に滞在した後、次の挨拶句を詠んでいる。

眉掃を俤にして紅粉の花芭蕉

 他にも多くの俳人が出羽路の紅花を句にしている。

紅花や婉語も重き出羽訛り秋元不死男
鳥海はもとより見えず紅の花森田峠
曲り家の牛鳴いてゐし紅の花阿部月山子

 明治以降化学染料に押されて生産は激減したが、現在も受け継がれている伝統的な製法がある。
 まず①露の乾かない早朝に花を摘み取る。葉先に棘があるため、棘がまだ柔らかい朝となる ②花びらを水洗いし黄色の色素を流す ③日陰で水を打ち発酵させる ④臼で搗き餅形にして天日に干す。これを紅餅または花餅という。
 染料は、紅餅を袋に入れ水に浸け、アルカリを加えて紅色素を抽出し、さらに酢で中和して作る。絹地を染めると、やや黄味を帯びた赤に染まる。着物の裏地や裾除けに使われた「紅絹」は下地に黄を染め紅を重ねた絹で、昭和の半ば頃までどこの家でも目にしていた色であり、大変懐かしい。
 口紅は紅の色素を沈殿させたものである。「艶紅(つやべに)」と呼ばれる濃い紅は、小さな器の内側に塗り重ねて保存した。
 赤色には古来、魔よけと邪悪なものを退けるという薬効の呪いがあり、還暦や子供の成長の節目で人々を守ってきた。
 先日青山の「紅ミュージアム」に足を運んだ。紅猪口の中で玉虫色を放っている良質の紅は、古からの美に対する女性の願望を凝縮するように輝いていた。