衣の歳時記 (80) ─股引  ─

我部敬子

 四季の移ろいの中で、よりはっきりとその気配を感じるのは夏と冬である。ことに冬は、寒さが体に堪える分敏感に反応する。寒さが身に添う11月は、冬の到来を受け容れ、守りに入る時候といえよう。

 股引や脛の細さにくゝりけり藤田春梢女 

   寒くなると、多くの男性が身に着けていた「股引」。江戸時代に職人の仕事着として盛んに穿かれた下ばきであるが、今では防寒用のズボン下を指すことが多い。副季語は「ぱっち」「パッチ」。

 膝形に緩む股引足入るる山畑禄郎

 股引は、すでに室町時代の文献に見られ、股脛巾「ももはばき」の転訛したものといわれる。江戸時代に広く着用されるようになり、腹掛、股引、半纏の組み合わせは、職人や仕事師の制服ともいえる。
   物売りや小店の商人たちは、股引を穿き、着物を腰に挟む尻端折りをしていた。着方は足を入れ、後で打ち合わせてつけ紐で結ぶ。腰回りの自由がきき、脱ぐことなく用を足すことができ、機能的であった。
   生地は紺の盲縞木綿が多く、袷仕立ては裏に浅葱の木綿を付けた。夏は白木綿や縦縞の単仕立て。絹を使ったものは、江戸では「ぱっち」と呼んで区別した。上方は木綿も絹製も股脚の長いのは「ぱっち」、短いものは「股引」といった。

 股引の威勢に戻る鷹野哉許六

 興味深いのは肌に吸い付くような細いものが鯔背(いなせ)「粋」とされ、竹の皮や紙を踵に当てて穿いたという。ことに木場の筏師たちはその細さを競った。さらに職種によって模様を違えるなど、江戸町人の美意識は、股引にもしかと生かされていたのである。
 その後股引は、次第に防寒下着としての役割を担うようになる。着物の下やズボン下として冬場に用いられ、素材もメリヤス編みの白色、肌色が主流になった。また女性や子供も股引を着けることがあったようだ

 海女達の股引赤し町を行く 洞外石杖

 現代は暖房が完備され、洋装のスマートさが求められる時代である。若者は股引も夏のステテコにも縁がない。着るとすれば、祭の半股引くらいだろうか。筆者は仕事柄、婚礼の新郎の紋付羽織袴を着付ける機会があるが、袴下に着けるズボン下を「初めて穿きます」という人が多い。昭和は遠くなってしまった。

 古写真股引の父若きかな滝沢伊代次

 若い男性には見向きもされなくなった股引だが、近年女性の間で、股引のようなスパッツやレギンスが愛用されている。しかもチュニックやスカートと合わせる、ひと昔前には思いもつかなかったファッションである。筆者も家ではこれを取り入れている。暖かく動きやすい。江戸の股引と西洋のスパッツが融合して生まれた新しい形ではないだろうか。
 それにしても股引は、女性にとって詠みにくい季語である。吟行先で、鄙びた民家に股引を干しているのを見かけた時など、ふと懐かしくもどこかユーモラスな句に詠みたいなと思ったりする。が、いまだに一句も成しえていない。

 股引の逆さ干しかな海ひかる菅原鬨也