古典に学ぶ㊽ 『枕草子』のおもしろさを読む(2)
    ─ 清少納言の好奇心とものに興ずる精神 ─                                     実川恵子

 『枕草子』の冒頭章段である「春は曙」は、春と秋は、昼と夜の境目の、時のまに微妙に変化する趣を、夏と冬は暗い中の僅かな光の種々相を取り上げている。憎らしいほど四季の情趣の、あれもこれもを切り捨て、短い時間に絞って取り出した情景を、その季節の特有な美として活写する。その簡潔な表現をじっくり味わいたいものである。
 清少納言は、梨壺の五人に数えられた『古今集』に次ぐ第二番目の勅撰集『後撰和歌集』の撰者となった著名な歌人清原元輔の娘である。曾祖父は、あの百人一首の「夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ」の作者として知られる清原深養父(ふかやぶ)で、彼女は代々歌読みの家系に誕生したのである。ところが、清少納言は、社交の折に詠む当意即妙の歌は得意だったが、古今集以来の伝統である四季の歌は得意としなかったようである。そのことがうかがわれるのが、九五段の「五月の御精進(みさうじ)のほど」章段である。
 梅雨の晴れ間、清少納言一行は賀茂の奥まで、ほととぎすの声を聞きに出かけたが、結局ほととぎすの歌は詠まずに帰ってきた。そのことを定子中宮から「それでどうしたのか、歌は」と揶揄された清少納言は、「いえ、もうこの歌というものは、いっさい読みますまいと思っておりますものを、何かの折など、人が詠みますにつけても、もし、『詠め』などと仰せになりますなら、おそばに伺候することができそうもない気持がいたします、といって、どうして、歌の字数もわきまえず、春は冬の歌、秋は梅や桜の花などを詠むことがございましょうか。けれど、歌が上手だと言われた者の子孫は、少しは人よりまさって、『これこれの折の歌は、この歌がすばらしかった。何と言っても、だれそれの子なのだから』などと言われるならばそれこそ、詠みがいのある気持もすることでございましょうに。少しもこれといった点もなくて、それでもいかにも歌らしく、自分こそはと思っているふうに、得意然として真っ先に詠み出したりいたしましては、亡き人のためにも気の毒でございます」と申しあげて、中宮から「では好きにしなさい、私はもう歌をよめとは、そなたに言いませんよ」とお許しいただいた、とある。
 一見、不謹慎な物言いのようだが、こんないきさつもあって見れば、清少納言としては、歌に代わるべき四季の詩を、と思うのは当然のことと思われる。この「春は曙」は、『古今集』の一巻から六巻までの四季の歌が、立春からはじまって、こまかく時の変化を追いながら歳末にいたるように編纂されているのに対抗して、各季節とも、きわめて短時間のうちにその季節の精髄をとらえようとしたものといえる。
 夏の闇夜のほたるは、『伊勢物語』四十五段に「時は水無月のつごもり…夜ふけてやや涼しき風吹きけり。蛍たかく飛びあがる」という印象的な場面もあり、状況はまったく異なるが、人々にとっては夏といえばほたる、という関係が受け入れやすいことはたしかである。秋の雁や風の音、虫のねなども、さして目新しい材料とはいえない。秋の夕暮れの飛鳥については、ねぐらへいそぐからすの群れという設定は、まことに思い切りのよいものである。
 私たちは「夕焼け小焼けで日が暮れて…からすと一緒にかえりましょ」という童謡でなじんでいるので、「ああ、あれ、」と軽く流してしまうが、これこそは和歌の枠にははまらない、清少納言の創造した美といえる。冬の暁闇の寒さ、夏の夜の天地の暗さの中に降る雨の音。いずれも人の意表をつく思いつきである。平凡に見えて、しかも余人の追従を許さぬ「春は曙」の景であり、実に単刀直入に、春の大らかさ、豊かさをとらえ得ている。
 こういうとらえ方を可能にする下地に、清少納言の好奇心とものに興ずる精神があったと思うのである。