春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

はいかい漫遊漫歩

はいかい漫遊漫歩(226)(227)2024年3月号

子どもの遊びの秋の季語に本題「海蠃(ばい)廻し」傍題「海蠃打ち」「べい独楽(べーごま)」がある。そもそもは江戸時代に巻貝の一種「海蠃貝(ばいがい)」に重みをつけるため土や蝋、鉛などを詰めて独楽遊びしたのが発端。

はいかい漫遊漫歩(224)(225)2024年2月号

銀座の酒場の女将俳人と言えば、大方は「卯波」の鈴木真砂女を思い浮かべるだろう。銀座には、もう一人、戦災で店が消失するまで永井荷風、井伏鱒二、泉鏡花、水上滝太郎、籾山梓月、石川淳、堀口大学、城左門らが常連の文学酒場「おかざき」の女将俳人がいた。俳名ゑん女(本名岡崎ゑ以)。 己を前面に押し出し、ひけらかすことを厭い、ひたすら正岡子規の業績を世に伝え、残すために身を尽くした俳人がいた。俳人の名は柴田宵曲。詩人、随筆家、書誌学の人でもあった。

はいかい漫遊漫歩(222)(223)2024年1月号

「どろ亀先生」は、定年退官するまで本郷・駒場の大学キャンパスでは一度も教壇に立たず、演習林でのフィールド・スタディと教育に徹した稀有の東大教授だった。

はいかい漫遊漫歩(220)(221)2023年12月号

 映画『男はつらいよ フーテンの寅』シリーズで“フーテンの寅 ”ことテキヤの車寅次郎を演じた国民栄誉賞俳優、渥美清は、「風天」の俳号で〈 お遍路が一列に行く虹の中 〉〈 赤とんぼじっとしたまま明日どうする 〉〈 やはらかく浴衣着る女(ひと)のび熱かな 〉などの佳句を遺した俳人でもあった。 元テキヤの俳人、正道寺宏一は、紙芝居『黄金バット』の作者で、風俗考証家、評論家、加太こうじさんと旧制の高等小学校時代の同級生だった。加太さんが1985年に上梓した『街のエリート聞き書き集 名もなく すがしく したたかに』(筑摩書房刊)から引く。

はいかい漫遊漫歩(218)(219)2023年11月号

人気テレビ番組「プレバト!!」(MBS/TBS系)の初代俳句永世名人の俳優、梅沢富美男さんの表題の初句集『一人十色』(ヨシモトブックス刊)が、2023年4月の初版発売から2か月足らずで4刷となる人気ぶり。

はいかい漫遊漫歩(216)(217)2023年10月号

鯛焼は2枚の型を合わせて型そのものをひっくり返して焼く。型できっちりおさえるから、皮のごく薄い部分ができる。そこにまで餡がはいっていたほうがいいのか、そこは口直しに甘くないパリッとしたものとして食べる方がいいのか、江戸趣味の通人のあいだで論争が起きた。

はいかい漫遊漫歩(214)(215)2023年9月号

 『いたずらラッコのロッコ』『くまの子ウーフ』『銀のほのおの国』などの作品で知られる児童文学作家の神沢利子さんが、99歳の誕生日の2023年1月29日に“俳句による自伝 ”とも言える白寿句集『冬銀河』(絵本屋こども富貴堂刊)を出版した。

はいかい漫遊漫歩(212)(213)2023年8月号

〈 三月の甘納豆のうふふふふ 〉〈 たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 〉を自作俳句の代表句と称する “ねんてん ”、坪内稔典さんが代表の俳句グループ「船団の会」が、平成30年9月1日発行の機関誌「船団」(第118号)で組んだ特集が話題を呼んだ。

はいかい漫遊漫歩(210)(211)2023年7月号

〈山に金太郎野に金次郎予は昼寝 〉が三橋の辞世句と定まる興味深いエピソードを紹介する。俳人で俳句評論家、宗田安正の著作『最後の一句―晩年の句より読み解く作家論』(本阿弥書店刊)から引く。  〈 癌死の13日前の平成13年11月18日、小田原市で、自身も加わる同人誌「面」の早めの忘年句会が催された。三橋は掲句(註:山に金太郎野に金次郎予は昼寝 〉をしたためた賞の色紙四枚を持参、参加した。身体の状況から、これが連衆との最後の別れになることを承知していたに違いない。当日は、先師西東三鬼主宰「断崖」以来の懐かしい仲間、山本紫黄、大高弘達や高橋龍なども出席していた。三橋は、選も講評も、すべて普段と変わらずに果たして、帰って行ったという。〉

はいかい漫遊漫歩(208)(209)2023年6月号

1931年に40代になった久女の俳句は女流俳句の頂点に駈け上がる。31年、〈 谺して〉の句が「東京日々新聞」(現毎日新聞)、「大阪毎日新聞」(同)共催の「新名所俳句」で帝国風景院賞金賞20句に入選、受賞。水原秋櫻子の〈 啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 〉後藤夜半の〈 瀧の上に水現れて落ちにけり 〉などの傑作句に伍しての栄冠だった。

はいかい漫遊漫歩(206)(207)2023年5月号

雷門通りと馬道の交差点角に神谷バーのビルが目に入る。浅草1丁目1番地1号は、明治13年の創業以来不動で店を守り続けてきた誇りの地番だ。バーと言っても1階はビヤホール、2階がレストラン、3階は割烹。神谷バーと言えば、デンキブラン(電気ブラン)。どの階でも飲める。

はいかい漫遊漫歩(202)(203)2023年3月号

作家の尾崎一雄は、早大国文科3年のとき、2年後輩の丹羽文雄と戸山ヶ原を散歩中、〈 丹羽が小川に向かって立小便をすると、折柄の春風で、それがなびいた。そこで一句できた、と丹羽が口ずさんだのがこの句…〉(「風報」昭和35年5月号)と〈 春風やおれのしょんべん曲りけり〉を披露。ともに文化勲章作家となった丹羽の〈一世一代、唯一の俳句〉と言う。

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