春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

曾良を尋ねて

曾良を尋ねて(107) 2018年7月号

芭蕉と曾良の奥の細道の旅は太平洋側を水戸藩が見守り象潟よりは大垣藩が後ろ盾になって見守っていたと考えられる。芭蕉の出身の津藩は軍事力強化に力を注いでいて幕府にも信頼が厚かった。このことも各地を隠密に情報収集出来た所以であるといえるであろう。

曾良を尋ねて(106) 2018年6月号

曾良は別行動をとり芭蕉の『細道』の先々で周辺の集落の暮らしぶりを調査していたと思われる。 そして芭蕉の『細道』にかかる費用も工面していた。

曾良を尋ねて(105) 2018年5月号

芭蕉と別れた曾良は1日約45キロを踏破。芭蕉が後日訪れるであろう宿場16か所を3日間で踏破した。とても 病んでいるとは思えない脚力であった。

曾良を尋ねて(104) 2018年4月号

八日間の山中温泉での長逗留の間も北枝は芭蕉の俳諧の核心である、不易と流行、さび、しおり、ほとみ等の教えを乞い「山中問答」に記録していた。一方曾良は北枝のおかげで一人で別行動をとる事が出来たと考えられる。

曾良を尋ねて(103) 2018年3月号

曾良は7月17日より体調を崩すも金沢を発つ頃は回復し26日には夜まで連句の会に参加した。その後山中温泉に8泊。芭蕉はこの旅において杉風以外ただ一通のみ大垣チームに旅の経過報告の書簡を出している。

曾良を尋ねて(102) 2018年2月号

松平忠輝の遺児としての曾良の存在は幕府にとっては煙たいものであったであろう。それ故曾良の存在を示す資料が少ない。しかし芭蕉と関わった「奥の細道」での活躍で十分に才能を窺うことができる。

曾良を尋ねて(101) 2018年1月号

大久保長安は生涯において徳川政権に絶大な功績があったにも拘らず、その莫大な蓄財や伊達政宗、松平忠輝など多岐にわたる人脈を家康に恐れられ陰謀によって蓄財はすべて没収され遺児7名は全員処刑された。

曾良を尋ねて(100) 2017年12月号

芭蕉の「荒海や」の句は佐渡島への畏敬の念によって創造されたイマジネーションの句ではなかったか。 大久保長安は大陸から渡って来た秦氏の末裔で武田信玄、徳川家康に仕え鉱山の開発に力を発揮した。

曾良を尋ねて(99) 2017年11月号

村上藩における曾良の扱いは別格であった。そのことから曾良は忠輝「隠し子」だと確信する。 芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」は佐渡の歴史的背景に対する様々な思いを自分の身に重ねて 生まれた名句である。

曾良を尋ねて(98) 2017年10月号

村上家での曾良への優遇は曾良がいかに身分が高かったのかが推測される。 伊勢長嶋藩の家臣の名簿には岩波庄右衛門正字が載っていなかったのは曾良と同一人物で あったと推測される。

曾良を尋ねて (97) 2017年9月号

芭蕉と曾良は良兼の祥月命日の墓参のために村上に着くように日程を組んだ。松平良尚に忠輝が正字(曾良)が武士として生きられるよう頼んだのではなかろうか。

曾良を尋ねて (96) 2017年8月号

象潟からは低耳、宮部弥三郎実態は大垣藩に出入りし何らかの命を受けた人物が水戸藩や他の近隣大名に代わりサポートを引き継いでいく

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