春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
連載記事 - 月刊俳句雑誌「春耕」掲載

曾良を尋ねて

曾良を尋ねて(102) 2018年2月号

松平忠輝の遺児としての曾良の存在は幕府にとっては煙たいものであったであろう。それ故曾良の存在を示す資料が少ない。しかし芭蕉と関わった「奥の細道」での活躍で十分に才能を窺うことができる。

曾良を尋ねて(101) 2018年1月号

大久保長安は生涯において徳川政権に絶大な功績があったにも拘らず、その莫大な蓄財や伊達政宗、松平忠輝など多岐にわたる人脈を家康に恐れられ陰謀によって蓄財はすべて没収され遺児7名は全員処刑された。

曾良を尋ねて(100) 2017年12月号

芭蕉の「荒海や」の句は佐渡島への畏敬の念によって創造されたイマジネーションの句ではなかったか。 大久保長安は大陸から渡って来た秦氏の末裔で武田信玄、徳川家康に仕え鉱山の開発に力を発揮した。

曾良を尋ねて(99) 2017年11月号

村上藩における曾良の扱いは別格であった。そのことから曾良は忠輝「隠し子」だと確信する。 芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天の川」は佐渡の歴史的背景に対する様々な思いを自分の身に重ねて 生まれた名句である。

曾良を尋ねて(98) 2017年10月号

村上家での曾良への優遇は曾良がいかに身分が高かったのかが推測される。 伊勢長嶋藩の家臣の名簿には岩波庄右衛門正字が載っていなかったのは曾良と同一人物で あったと推測される。

曾良を尋ねて (97) 2017年9月号

芭蕉と曾良は良兼の祥月命日の墓参のために村上に着くように日程を組んだ。松平良尚に忠輝が正字(曾良)が武士として生きられるよう頼んだのではなかろうか。

曾良を尋ねて (96) 2017年8月号

象潟からは低耳、宮部弥三郎実態は大垣藩に出入りし何らかの命を受けた人物が水戸藩や他の近隣大名に代わりサポートを引き継いでいく

曾良を尋ねて (95) 2017年7月号

立石寺を訪ねた後大石田の髙野一栄邸に泊まった日に連句の発句として「五月雨を集めて早し最上川」と詠まれた。 後に出羽三山を訪ねて多くの名句を読まれたが詠まれた。

曾良を尋ねて (94) 2017年6月号

封人の家と尾花沢鈴木清風

曾良を尋ねて (93) 2017年5月号

関所と番所の通過の苦労は、曾良が同行者としていかに心を砕いていたか、その経過と状況がよくわかる。「漸(やうやう)として関をこす」とあるが、その方法として〝袖の下を使った〟のではないか、という説が一般的だが、私は曾良が最後の切り札として公儀のお墨付きを見せたのではないかと思うのだが如何だろう。

曾良を尋ねて (92) 2017年4月号

『奥の細道』における「奥州平泉」の役割

曾良を尋ねて(91)2017年3月号

仙台藩における芭蕉と曾良の関わり

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