老導師声を限りに福は内川澄祐勝
家建てる槌音ひびく松の雪高木良多

「晴耕集・雨読集」2月号 感想    柚口満

白鳥のこゑ珊珊と天降り来る蟇目良雨

白鳥は夏に北で繁殖し、冬日本に渡ってくる。渡り鳥のなかでも大白鳥などはその姿の貫録や、飛翔の美しさでは群をぬいた存在として人気がある。中村草田男は「白鳥といふ一巨花を水に置く」と白鳥を詠んでいるがまさに巨花である。
さて掲句は、その白鳥の声に焦点を当てている。中でも珊珊と、の表現が類をみない。珊珊とは辞書によれば身につけた玉などが鳴る音、あるいはきらきらと美しく輝くさまとある。この句には両方が当てはまる表現である。真っ青な天より白鳥の一家族が鳴きながら降ってくるさまは美しい。

床の間に恵比寿の笑める神の留守朝妻力

陰暦十月は日本全国の神様たち、つまり八百万(やおよろず)の神々が出雲大社に集まる月で出雲では「神在月」他の地方では「神の留守」という所以になっている。
そして神の不在の所は不安を感じるということで留守中の神さまが考えられた。それが道祖神であったり竈の神であったりしたのだが恵比寿神を祭る地方も多いといわれる。この時期、恵比寿講の祭りが多いことでもわかる。
この句の作者は、神の留守月を迎え床の間に恵比寿さまの像を安置、満面の笑みを湛える神様とこのひと月を心穏やかに過ごしたという。

海風に縄目のゆるむ干大根 阿部悦子

海の近くで大根を干している風景である。大根を干すにはいろいろな形態があり振り分けにして木の枝に吊るしたり軒下に綱を張って簾のように掛ける方法があるが掲句は稲架のような丸太と竹で組んだものに干しているのだろうか。
大根がいい塩梅に干し上がるのは大体十日間ぐらいといわれていてその後は沢庵漬などにされる
この句、ほどよい潮風に晒された干大根を毎日のように観察されて作られたのだろう。日に日にその縄目が緩んでくるのに興味をもたれたのだ。大根を干す作業が終わると遠嶺は雪化粧を始めることとなる。

水鏡して雨あとの冬もみぢ沢ふみ江

雑感であるが東京周辺の紅葉は冬に入ってからが本番である。京都辺りもそうだが町なかでは十一月下旬から十二月上旬辺りが見ごろなのである。
さて掲句、美しい風景を詠んでいる。先ほどまで降っていた秋霖がはたと止み池の水面の雨脚が瞬時に消えた。そして黒々とした水鏡に鮮やかな冬の紅葉がくっきりと移ったという。地上を彩る紅葉とそれよりもあでやかな水面の紅葉、それが冬の紅葉であるだけによけいに印象に残る。

寒禽の声透き通る雑木山池内淳子

透明感のある俳句である。寒禽というのは冬に見かける鳥で渡り鳥あるいは留鳥と別に区別する必要のないものである。我々が冬に接する冬の鳥はこの句にあるような雑木林や近間の住宅の庭などが多い。
この句の作者は冬日の射す雑木山に入り様々な鳥に遭遇されその甲高い声を満喫された。先に透明感のある句と申し上げたが、読んでみてカ行の韻律が働いていることもそう感じた要因になっているのかも、と思った。

陵にかしこき音の落葉踏む窪田明

陵(みささぎ)とは公式には「皇室典範」に定められた天皇、皇后、太皇太后、皇太后の墓所、御陵をいう。
どこにある陵かは定かでないが掲句の作者は大きな御陵を参拝された。大きな木々に覆われた小山のような陵にはもちろん近づけないがその参道には落葉が積もっていた。この句の眼目はもちろん中七の「かしこき音の」である。独特な感性のある聴覚の捉え方である。畏き辺りだったこそこういう音だったのだ。

雲の上急ぐ雲あり神の旅沖山吉和

先の朝妻氏の俳句でも述べたが陰暦十月は出雲大社に全国の神が集まる時期。これに関連した季語には「神の留守」「神送り」などがありこの句の「神の旅」もその一環である。神様はどんな手段で出雲へ向われるのか、陸上を、あるいは海上を経由されるのかいろいろと想像するのも面白いが、やはり句のように空を行かれたのが妥当かな、とも思ってしまう。作者は二重に流れる雲の早く流れる上の雲の方に神様が乗っていると見立てた。遅れた神が急いで一番早い手段を選んだ設定が面白い。

解禁はや猪へ二発のとどめ銃植木緑愁

猟の解禁を詠んだ句である。狩猟の解禁日は十一月十五日(北海道は十月一日)から翌年の二月十五日までと定められている。
最近は鳥獣の保護や人への安全保護のためいろいろな規制がありその許可も昔と比べると厳しくなっているようだ。この句は猪狩りの様子を詠んでいるが、射止めた猪に二発の止めの銃を撃った、とリアルに表現している点がいい。解禁初日の猟師の昂ぶる気持ちが垣間見える一句。

梟の声きく夜半や旅枕大石英子

梟は世界に百二十種をこえる仲間がいるという。視力や聴力が非常に発達した動物で「ゴロスケホーホー」と低く沈んだ鳴き声は特に冬の夜に何かを訴える感がある。旅先で聞いた梟の鳴き声、ましてや真夜中のそれはこの作者にどんな感慨をもたらしたのだろう。郷愁の思いだろうか。

結納の飾り煌めく冬座敷笠原靖子

普通、冬座敷の本意といえば静謐な落ち着いた座敷の佇まいが提起されるが、この句の冬座敷はうれしい雰囲気が詰まった座敷である。その床の間には結納の儀が終わったあとの品々が並べられお目出度い紅白や金銀の水引が眩いばかりだという。「結納の膳華やげる菊膾」もありお目出度いことこの上もない。

ゴッホの黄マチスの赤や柿落葉実川恵子

落葉のなかでその木の名前が入っている季語は思ったより少ない。この句にある「柿」のほかには「朴」と「銀杏」ぐらいであろうか。中でも柿の大ぶりの落葉はその色合いの豊かさと光沢、艶々しさには目を見張るものがある。この句はその色合いをゴッホの色、マチスの色と断定したことがユニークである。確かにゴッホの黄色といえば一連の「ひまわり」のシリーズであり「種蒔く人」でもある。またマチスの赤には「赤い部屋」や「大きな赤い室内」等々が目に浮かんでくる。柿落葉をみて絵画の巨匠の色を連想するとは、よっぽどの絵画通でもある。

ダリア百本咲かせ男の一人住む 本間まり

この句、一読してどんな男だろうかとついつい想像したくなる。ダリアの花は夏から秋にかけて咲き、最近では皇帝ダリアという大型のものが晩秋に咲いている。独り住まいのこの男、きっとダリアに並々ならぬ思いがあるのであろう。百本の華やかなダリアに囲まれて少しミステリアスな雰囲気も漂う。