「晴耕集・雨読集」12月号 感想  柚口満

秋の虹夫を呼ぶ間に消えにけり升本榮子

 作者の夫君、行洋氏が逝かれてから一年余が過ぎて行った。昨年の11月中旬には赤堤句会で偲ぶ会が開かれ皆様と在りし日の行洋先生の思い出に浸った。
 奥方にとってのこの一年、まだまだ逝かれたことを実感として捉えるには程遠いものがあったと拝察する。ひとり居にそっと夫を呼んでも秋の虹はその間に消えてしまうと述懐される。儚く消えてゆく秋の虹の季語がうごかない。

竜猛るごと煌々と天の川朝妻力

 天の川というと小さい頃育った田舎をすぐに思い出す。夜になれば灯りがほとんどない真闇に小さな星の粒の一つずつが見えるような集合体はまさに圧巻であった。いまでは相当な山奥にでも行かない限りこんな天の川はみられない。
 この句もおそらく状態の揃った場所での銀河であろう。その川の形は竜が暴れるごとく、しかも光り輝くようであったという。こんな天の川が見られることをキャッチフレーズにした村が観光地になっていると新聞が報じていた。

指細き子規の手形や秋さびし武田花果

 昨年は正岡子規の生誕百五十年ということで各地で記念の行事が行われたが、掲出句は東京・根岸の子規庵での嘱目吟である。
 秋のこの期間、子規のさまざまな遺品が展示されたのであるがこの句の作者は在りし日の子規の手形に思いを致した。ある意味、手形というのはどんなものよりリアルであり真実味が迫るもの、思いの他に細い指に手を重ね故郷の偉大な文人を偲んだのである。

満作の越路どよもす落し水田中信夫

 米どころ新潟での一句。満目の越後平野に稔の秋が近づき田面の色が緑から黄色へと徐々に変わってきた。落し水とは稲の成熟する頃に田を乾かすために田の水を抜くことをいう。おおまかにいうと出穂後の三十日後、稲刈りの十日前というのが目処らしい。
 見渡す限りの田んぼから水が抜かれ、畔川に流れ落ちる音が轟音となって響き渡る。その音はあたかも稲穂を囃したてる手荒い予祝歌のようだった。

灯を別けて妻の夜長とわが夜長長谷川雅男

 老年期に入った夫婦のしみじみとした生活の一端が伺われる一句である。
 子供たちも一本立ちし、いまは夫婦の静かな時が流れる秋の夜。夜長を楽しむのもそれぞれの趣味がある。お互いに別々の燈火のもとで思い思いの時間をもつ。
 中七から下五にかけての「妻の夜長とわが夜長」と調子よく、また細かく描写したことがこの句に情感をもたらした。

鳥になり狐になる手夜長かな武井まゆみ

 省略の効いている一句で一度読んでひと呼吸してから「そうか、この場面を詠んだんだ」とわかるものでこういう詠みかたも俳句の手法であり、意味が解ったあとはもう頭の中から離れなくなる。
 秋の夜長を障子に映る影絵で遊ぶ一場面、誰しも子供の頃に経験した懐かしい思いが蘇る。なかでも手で簡単にできる鳩や狐は影絵の定番、今の子供たちはこんな遊びをしているのだろうか。

下り簗水磨かれて流れけり阿部美和子

 川にかける簗は春の上り簗、本格的に作動する夏の簗、そして秋には下り簗から崩れ簗となり一年が終る。 
   掲出句は下り簗の様子を美しく詠んでいる。ともすれば寂しさを強調する句となるのだが、この句は簗を抜けた水が磨かれて流れていったと表現する。秋の水の透徹感がよく出た一句。

新しき空気の動く野分後髙島和子

 野分、台風の過ぎたあとの気象状況を詠んだ作品である。その進路に気をもみ被害の状況に胸を痛めた台風が過ぎ去れば嘘のような青空が広がる。
 そんな爽快な状態を、新しき空気の動くと、きっぱりと把握しきった言い方をしてこの句は成功した。あの忌まわしい強風がすべてを入れ替えてくれた。

大奥の跡や色なき風ばかり髙橋喜子

 今から六年余り前に春耕創刊四十五年を記念して吟行したのが皇居東御苑で、この句にある大奥跡はその中のひとつであった。天守台から眼下に眺める大奥跡は全面芝生でありとてつもなく広かった。この空間に将軍の正室を始め総勢約三千人の女性がすんでいたという。枯芝の上を吹く秋の風に悠久の歴史をしみじみと偲んでいる作者、色なき風の寂寥感。