「耕人集」3月号 感想  沖山志朴

もらひ風呂昔語りの冬の夜寒河江靖子

 「もらひ湯」「もらひ風呂」、今では死語に近い懐かしい語である。「今晩お風呂を沸かすので、おいで」と声がかかる。冬など寒風の中、タオルを持って出かけた記憶が筆者にもある。
 掲句、冬の夜の高齢者が集まっている場で、戦中や戦後の貧しい時代の話が出たのであろう。今は、多くの家に電化されたお風呂があって、ボタン一つで湯が沸き、それを音声で教えてくれる。隔世の感がある。    

薬喰罠の話に盛り上がる日浦景子

 薬食いが一段落したところで、狩猟の経験者から罠の話が出て、座が盛り上がったのであろう。
 今、全国的に農作物に大きな被害をもたらしている猪を捕るための罠であろうか。捕獲率の高い箱罠、手軽で安価なくくり罠などが知られているが、中に猟の経験のある人がいて、興味深い話題に及んだのであろう。罠に焦点化したところに現実味が感じられる。

湯ざめして今諍ひの納め時市川蘆舟

 些細なことで口論になった。お互いに意地を張ってどちらも譲ろうとしない。そうこうしているうちに一人がくしゃみをして、「いけない、湯冷めしてしまった」とでもいったのであろう。それがきっかけになって諍いも収まった。
 諍いを詠っていながら、ユーモアあふれる楽しい句である。言葉も洗練されていて、句のリズムも良い。同時投句の「綿虫の彼の世へもどるやうに飛び」もユニークな秀句である。

豊満な縄文土偶秋の空尾崎雅子

 昨年、東京国立博物館において「縄文―一万年の美の鼓動」展が開催された。とりわけ、茅野市の遺跡で発掘された「仮面の女神」や「縄文のビーナス」など豊満な体つきの縄文土偶が話題になった。
 狩猟や自然の恵みに頼るしかなかった縄文人にとって、豊かさの象徴としての土偶は特別な存在であったのであろう。現代人にとって、過剰なほどに思える豊満な土偶の体は、生きていくうえの食を得るための切実なる願いの象徴でもあったのであろう。そう考えると、「秋の空」の季語も生きてくる。 

文鎮に夜久貝の蓋筆始岩山有馬

 夜久貝は夜光貝のこと。栄螺に似るがさらに大きく、殻の直径は20センチメートルにもなるという。熱帯海域に分布していて、貝殻は貝細工にも用いられる。
 作者は鹿児島県の離島にお住まいの方。これまでも、地域色あふれる秀句を多く投句されている。掲句も筆初めの文鎮代わりに蓋を使用したというところに、南国ならではの地域性が出ていて面白い。

四方から奏でる如く除夜の鐘大多喜まさみ

 鎌倉にお住まいの方の作品。周知のように、歴史的な経緯もあって、鎌倉には多くの寺が存在する。寺々の除夜の鐘が一斉に鳴りだし、調和よく響き合っているという聴覚の句である。
 同じような形をしていても、鐘の音色は、寺によってそれぞれ微妙に違うのであろう。その違いを作者は、「奏でる如く」と繊細な言葉で表現をしている。地形的なことも相まってその響きは独特なものになるのであろうか。地元の人にとってはまさにしばしの感動的な年明けなのであろう。

表札の墨褪せてをり枇杷の花日置祥子

 近年は、焼物や、しゃれた金属製の表札が多く見受けられるようになった。掲句の表札は、「褪せて」から想像するに木製のものなのであろう。
 取り合わせの句である。薄くなった墨の色、木目の浮いた表札が、何年も経った家であることを想像させる。そして、地味であるが芳香を放つ枇杷の花、その二物の間が即かず離れず、微妙なところで接点を持っていて、かなり手慣れた句である。同時掲載の「椅子二つ相寄る如し冬うらら」も繊細な感覚を見事に表現した句として味わった。

冬支度捨てる事から始まりぬ佐々木美樹子

 「断捨離」という言葉が流行している。物があふれる時代、いかに生活用品等を整理するかというのが、多くの人の悩み。
 作者は、冬支度を、思い切って物を捨てることから始めたというのである。目張りでもなく、カーテンの取り換えでもない。季語の成立した遠い昔に比べると、ものの豊かな時代になった。また、高齢化などの社会の変化なども進んだ。掲句の背景にそのような時代の変化が窺えて面白い。