「耕人集」  10月号 感想         髙井美智子 

長崎忌小雨の匂ふ都電かな伊藤宏亮

 長崎に原子原爆が落下されたのは昭和20年8月9日午前11時2分であり、何の予告もない突然の惨事であった。人々が動いていた街に突然に落とされたのである。
 ゴトゴトと長閑に走る都電に乗っていた作者は、このような日常に原爆が突如落とされたのかもしれないと思いを馳せた。掲句は多くを語らず、「小雨の匂ふ都電」の措辞を用いるだけにとどめている。今年の長崎忌は一日中、小雨が降り「黒い雨」をも連想させられた。「都電」を用いたことにより、日常の生活を送るありがたさを改めて噛みしめる感慨深い句となった。  

初蛍追つて山気と交はりぬ船山励三

 棚田の蛍を追いかけていると、いつの間にか真っ暗な山裾に行きつく。山の奥から流れ来る夜気をとらえ、「山気」と感じ取ったところが秀逸である。蛍狩りをしながらも、さらに一歩踏み込んだ独自の世界を切り開いた一句となった。                                  

じやあじやあと聞こゆ異国の油蟬舘岡靖子

 異国の地で聞いた蟬の声を素直にとらえた、作者の聴覚による新鮮な句である。熱帯気候の国であろうか、日本の蟬より声も大きそうである。蟬の声だけでなく、なにもかもがいきいきと作者に飛び込んでくる様子が見える。
 異国の旅は視覚だけでなく聴覚も刺激され、体中の細胞が目覚めるようだ。

潮が来て船虫の陣総くづれ日置祥子

 船虫が群がって行動している様子を「船虫の陣」と見立てた作者の捉え方に感銘した。音もなく岩場で群れているが、波が押し寄せて来ると一瞬にして八方へ身を隠す。この様を中七から下五にかけて「船虫の陣総くづれ」と一気に詠み下した確かな写生による即物具象の句である。
 海の生態に詳しい棚山波朗名誉主宰の船虫の句を紹介する。
 船虫や岩を這ふより転げ落つ (春耕2017年7月号)
 船虫の集まり来たる忍び足  (春耕2020年9月号) 

庭履きの一歩に今朝の蟬の穴青木民子

 毎朝庭に出て太陽の光を浴びる作者の日課が見えてくる。昨日はなかった蟬の穴を今朝は見つけた。病と向き合っている方であろうか。一歩を踏み出す喜びと蟬の穴を見つけた感動が伝わり、小さな命へ向ける作者のやさしいまなざしが窺える。
 細見綾子が闘病中に初めて散歩に出た時の句〈来て見ればほゝけちらして猫柳〉を連想させられた。
 最近は庭の大方をセメントでたたいたモダンな庭が多いが、家の庭に蟬の穴を見つけるという幸せな環境を大切にしたいものだ。
   

老杉に夏霧走る羽黒山池田栄

 出羽三山の一つ羽黒山には2キロメートルも続く石段があり、石段の両側には総勢500数株、樹齢500年もの杉の並木が続き荘厳な雰囲気である。国宝である五重塔の脇には樹齢1,000年以上といわれる杉の老杉がそびえ立つ。
 これらの老杉を間近で見上げ、霧の流れる迫力を「夏霧走る」と作者の感覚で表現した傑作の嘱目吟である。作者も霧に包み込まれ、幽玄な世界に解けこんでいる様子が彷彿としてくる。

山の日を筵に集め大豆干す斉藤文々

 山家の庭は眼下が崖や段畑という立地の場合が多く、非常に狭いので庭いっぱいに筵を広げて大豆を干す。山の日は暮れ時も早く、わずかな時間を狙って大豆を干しあげる。
 このわずかな日差しや庭の狭さを「山の日を集め」と省略の効いた表現で言い当てている。さらに日が差すと大豆は金色に輝きだすことまで想像できる句となった。

昼の雷爆撃音を聞くごとし田中よしとも

 作者は来年白寿を迎えられる方で、2年前に病に臥し、しばらく俳句から遠ざかっておられた。根気強くリハビリに励み、先月から春耕に投句をできるまでに回復された。激しい戦争を体験しており、爆撃音もいまだ鮮明に脳裏をかすめることと推測する。
 この句は昼の雷の音を聞き、戦争最中の爆撃音が記憶から蘇ったのである。忘れることのできない体験から生まれた句である。俳句は作者の生き様を知ることによって奥深いものとなる。