曾良を尋ねて (120)           乾佐知子
─『奥の細道』野坡本に関する一考察 ─

 平成に入って間もなく芭蕉自筆による『おくの細道』が発見された。芭蕉自身の筆によって71ヶ所に及ぶ貼り紙で訂正した跡も生々しい草稿本である。門人野坡のもとに伝来したとされるいわゆる野坡本である。
 芭蕉300回忌の平成5年から僅か3年を経た平成8年にその幻の本は出現した。
 素龍本の刊行は芭蕉も望むところであったろうが、この原本ともいうべき野坡本が公刊されることは恐らく芭蕉の想定外であったろう。今般俳句界を支える多くの研究者の間でもこの貴重なる原本を出版するべきか否か、論議を尽くされたという。序文の尾形仂氏によれば、「実はこの前年の平成7年に阪神大震災が起こり、この貴重な文化遺産を湮滅してはならない、との配慮からこのたび複製・公刊に踏み切った」と言われている。
 この重要な研究資料を多くの研究者が共有してゆくべきである、という配慮から廉価な普及版も出され、これによってひろく芭蕉に関心を寄せる人々によって新たなる論議と芭蕉学の発展へとつながってゆくことは間違いない。
 かくして『おくの細道』の草稿本は1997年1月、岩波書店より『芭蕉自筆奥の細道』として発刊された。
 凡例より要点のみ記す。
  所蔵 原本所蔵は中尾堅一郎氏
  装丁 四つ目袋綴じ、捩れ茶褐色糸使用
   (但し、改装前は紙釘装と推定)
  紙数 計34丁(本文32丁)
  用紙 鳥の子系統手漉き和紙。紙厚
  元帙(てつ)四方折開方式。薄縹色。和紙造 外装に紐結びの跡を残す
    (元帙とは書物を保護する為に包むおおいのことである。)  
 編者は上野洋三氏と櫻井武次郎氏の両名によるもので、櫻井氏は西村本の『影印おくの細道』(双文社)の編者でもあられる。平成2年頃本書の鑑定を依頼された時は、岩波書店の『芭蕉全図鑑』の作製に携わっていられたそうで、その完成後に他の研究者と共に本書の鑑定という大事業に当たられたという。
 江戸時代中期に野坡本がいかなる経緯をたどったかといえば、野坡の遺言により高弟の梅従と風之に譲られた。その後嶋月坊文台なるものの手にあったことまでは判明しているが、しかし2人共に宝暦、延享年間に没しており、その後の存在は全く分からなくなり今に至った。
 ところが今回計らずも、その野坡本が出現したのである。金襴緞子に鳳凰と竜を刺繍したきらびやかな表紙と、見返しには金箔地の和紙を貼った豪華な四ツ目袋綴じであった。
 しかしこれは当然芭蕉の当時のものではなく後年の改装によるものであることは明白である。櫻井氏は西村本の影印もなさっていることから、双方の作品の比較もされている。
 現今の写真や印刷技術、更にコンピューターグラフィックスの目覚ましい技術を駆使して芭蕉肉筆の解明に迫る、という凄さを次回はお届けしたい。