自由時間 (81)  アウシュヴィッツ解放75年             山﨑赤秋

 1月27日、ポーランドにあるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所跡で、解放75周年追悼式典が行われた。あの象徴的な入口、下を線路が通る監視塔をすっぽり包むテントが張られた式場には各国首脳とホロコーストからの生存者200名が並んでいた。全員、収容されていたときの囚人服と同じ、青と白のストライプのスカーフを首に巻いて。60周年のときには、生存者1500名が出席していた。ずいぶん減った。
 1945年のこの日、ソ連軍が同強制収容所を解放した。そのとき、収容所には中年の成人と15歳以下の児童約7000名の生存者がいた。それ以前に殺されたのは110万人で、その大部分がユダヤ人であった(他に、ポーランドの政治犯、ロマ、ソ連の捕虜など)。ナチスは欧州全体で約600万人のユダヤ人を殺したが、その6分の1をこの収容所が受け持ったのだ。
 なぜ、ユダヤ人は迫害されたのか。 
   西暦30年ごろ、イエス・キリストは十字架刑に処せられた。その裁きが下されたとき、ローマ帝国の総督ピラトとユダヤの群衆との間で次のようなやりとりがあった(「マタイによる福音書」27・21~25)。
 そこで、総督が、「2人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。
「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」(新共同訳)
 ユダヤの群衆の発したこの最後のことばが、反ユダヤ思想を生む源流の一滴となった。
 3日後にイエスは復活する。弟子たちはそれを信じた。こうしてキリスト教は生まれた。数ケ月後には信徒数は120人になった。やがて、迫害を受けながらも、キリスト教はローマ帝国中に広まり、ついにはコンスタンティヌス帝によって公認され(「ミラノの勅令」313年)、さらに392年にはテオドシウス帝によって唯一の国教となる。そして欧州全土に広まる。
 そのころ、北アフリカのカルタゴに初期キリスト教会最大の教父(教会の指導者)であるアウグスティヌス(354~430)がいた。その代表作『神の国』や『告白』は、後世に大きな影響を与え、中世ヨーロッパのキリスト教思想の基盤となった。
 彼はユダヤ人について次のように述べている。
 ユダヤ人が神により離散させられた理由の一つはイエスを救世主と認めなかったため、もう一つはユダヤ人の離散がキリスト教に必要なためだ。なぜならキリスト教会も世界中にあるので、どこででも信者に、ユダヤ人の不幸を見せられるからだ。彼らは、罰として永遠に過ちの証人となり、キリスト教信仰の正しさを証しするのだ。従って、彼らを迫害してもいいが、殺してしまってはいけない。離散した彼らの存在が必要だからだ。(『神の国』) 
 彼のこのユダヤ人についての考え方は、キリスト教社会に広まり、ユダヤ人に対してどういう態度をとるべきであるかを示す基本となった。
 時代は下って、ドイツの宗教改革者マルティン・ルター(1483~1546)は、1543年に発表した『ユダヤ人と彼らの嘘について』という論文で、ユダヤ人を「下劣な偶像崇拝者、つまり神の子ではなく己が家系や割礼を誇りにし、法を汚らわしい物と見なしている連中」と言い切り、シナゴーグ(会堂)を「救い難い邪悪な売春婦」と呼び、そして、次のように信者を扇動している。
 ①ユダヤ人のシナゴーグや学校に火をつけよう、②ユダヤ人の家を破壊しよう、③偶像崇拝、嘘、呪い、冒涜が教えられている祈祷書とタルムード(律法書)をユダヤ人から奪おう、④ラビ(ユダヤ教の聖職者)の説教を禁止しよう、⑤ユダヤ人を街道から追い出そう、⑥ユダヤ人の高利貸しを禁止し、その金銀財宝を奪おう、⑦若くて強健なユダヤ人に農具や機織り道具を持たせ、額に汗してパンを稼ぐことを覚えさせよう。
 アウグスティヌスやルターのような偉大な聖職者ですら、こうした反ユダヤ思想を持っていた。況んや一般のキリスト教徒においてをや。反ユダヤ思想は、キリスト教社会に根深く根強く浸透していった。
 ユダヤ人は居住地区を制限され、市民権は与えられず、政府と軍のポストに就くことを禁じられ、ギルドに入れなかった。ユダヤ人は多くの国で強制的に追放され、虐殺されることもたびたびであった。そのクライマックスが、アウシュヴィッツである。
 ローマ教皇庁が、「キリスト受難の責任を当時のすべてのユダヤ人また今日のユダヤ人に負わせることはできない」と表明したのは1965年のことである。
 ユダヤ人は優秀で、ノーベル賞受賞者の20%を占める。著名なユダヤ人を挙げると、スピノザ、フロイト、メンデルスゾーン、カール・マルクス、アインシュタイン、カフカ、シャガール、レナード・バーンスタイン、ホロヴィッツ、ロストロポーヴィチ、イツァーク・パールマン、スティーヴン・スピルバーグ、ボブ・ディラン……綺羅、星のごとくである。