鑑賞「現代の俳句」 (144)                     蟇目良雨

小手毬に毬をつかせるほどの雨藤田 桜[若葉]

句集『藤田桜句集Ⅲ』より
 小手毬の咲く頃は、春に成りきるための産みの苦しみのような天候不順の気候が続くと私には思える。全く冬に逆戻りしたような寒さや激しい雨を降らせることもある。そして少しずつ爛漫たる春になる。小手毬の花が雨に打たれて毬突きをさせられたように上下動している自然の激しい一面をしっかりと写生している。

マッコリ酌むからだ北半分寒し辻 美奈子[沖]

句集『天球の鏡』より
 句会の後によく小酌をやる。安い居酒屋が多いが、まには寿司屋や焼肉屋で飲むこともある。安普請の造作が料金を安いと思わせる効果がありそれが店の魅力になっているところもある。掲句は焼肉屋だが道路にまで机を持ちだして風除けにビニールの膜を垂らしているような店構えなのだろう。隙間風に吹かれて体の北半分が寒いと嘆いているが、また、それを楽しんでいる作者の酔狂な気持ちが楽しい一句だ。

地吹雪の奥に墨絵のやうな森森岡正作[出航]

「出航」2020年3月号
 地吹雪に合って死ぬような経験をしたことがあるが、それは都会人の弱さの証。作者は秋田のマタギがいるような地域の出身だから地吹雪は常の景色として受け止めている。地吹雪の少し弱まる瞬間に遠くの森が墨絵のように見えることがあると言っている。ふる里の雪国の地吹雪の産みだす美しい景色をこの句で誇っているのだ。都会人は写真家が撮った地吹雪の奥の墨絵の光景を目にするしかない。本物の美がここにはある。

寒菊といへども杖を欲しげなり八染藍子[廻廊]

「廻廊」2020年3/4月号
 寒菊は冬の厳しさに耐えて強いものであるという前提に立って、寒菊には杖のような支え木は不要と思っていたのに、やはり支え木を欲しがっているように見えるというのが句意。作者の優しさが発した言葉だが、同時に高齢の身が自ずと発した言葉にもなっていると思う。寒菊に向き合ってこそ得られる境地である。

よさこいの土佐の夜空や薬喰鈴木しげを[鶴]

「鶴」2020年3月号
 「よさこい」には「夜さ来い」という意味があるらしい。土佐の夜は楽しいから夜になったらお出でなさいという言い慣わしがあるのなら、山宿へ行かなくても都会の夜の灯にまみれた街のど真ん中の薬喰もまた、味わい深いものがあるはず。この遊び心が魅力であり中々真似の出来ない作品になっている。

四万十川(しまんと)の漁火かはた狐火か亀井雉子男[鶴]

「鶴」2020年3月号
 清流四万十川の夜の漁火は美しいものであろう、静かに流れる時間を引き留めるように川面を照らす。作者がその火を狐火のようだと思ったのは、嘗て四万十川の川岸で狐火を見た経験がそう言わせたのかも知れない。ある句会で狐火は何故冬の季語になったかと議論になった時に、巷間言われている骨の燐が濡れて発火するのでなく、狐が乾燥した冬の野でじゃれ合うときに静電気が発光して狐火になるという説が出て納得したことがあった。そう思わせる句作りなので興味を覚えた句である。

蝮酒澄み渡れるも寒の内小林愛子[万象]

「万象」2020年4月号
 蝮酒の瓶の中はいつも何やら濁って見える。それが寒中には澄み渡って見えるというのだ。全てのものを瓶の底に沈める力が寒中にあることを作者は発見して一句が成った。

待春の十指を一指づつ開き雨宮きぬよ[枻]

「枻」2020年4月号
 待春の心とはこんなものであろうか。鳥の声の僅かな違いを聞くにつけ、枝の膨らみを見るにつけ春の近づく気配をひとつひとつ確かめてゆく。作者にはその合図になるものが十ほどあったのだろう。一指ずつ開いて確かめるうちにもうすぐ十指に達しそうになる。春はもうすぐそこに来ていることを暗示する。

末黒野や噴煙とほき桜島安立公彦[春燈]

「春燈」2020年4月号
 桜島の火山の噴火は今も止むことがないらしい。噴煙が1000メートルを越すと言うから、かなり遠くからも見えるだろう。末黒野の上に噴煙を上げている桜島が見えるという鹿児島周辺の日常の春の訪れが描かれている。

男雛より女雛はるかなものを見て 嶋田麻紀[麻]
「麻」2020年3月号
 雛が遠くのものを見ているようだと言われると分る気がするが、女雛のほうが男雛より「遥かな」ものを見ていると言われるとさらに説得力が増す気になる。女性に言われてみて気付くことは、女性中心の国であった日本が本来の姿であったと思わせる日本の歴史史観がなせる業なのであろう。

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