古典に学ぶ (84) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─ 帝と桐壺更衣の今生の別れの場面のまなざし① ─    
                            実川恵子 

 愛の証である源氏誕生から3歳の春、その袴着が終わった途端、『源氏物語』は早急に桐壺更衣の死を描き出す。その場面は、何度読んでも緊迫した状況と二人の愛情の吐露が見事に融和し、紫式部の稀有な才能を思い知らされる。その部分に至る物語の展開に少し触れたい。
 天皇は天皇であるがゆえに、「天皇制」によって厳しく規制される。最愛の女性がまさに死んでいこうとしているのに、神聖な宮中にある以上、死の穢れは絶対に忌避せねばならない。だから天皇はその臨終をみとってやれないのである。もちろん更衣の里に一緒に行幸することも許されない。掟は愛よりもはるかに強大なのである。

 限りあれば、さのみもえ止めさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、言ふ方なく思ほさる。いとにほひやかに、うつくしげなる人の、いたう面痩(おも)せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつ、ものしたまふを、御覧ずるに、来(き)し方(かた)行く末(すえ)思(おぼ)しめされず、よろづのことを、泣く泣く契(ちぎ)りのたまはすれど、御答(いら)へもえ聞こえたまはず。まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、われかの気色(けしき)にて臥(ふ)したれば、いかさまにと思しめしまどはる。

 (掟のあることだから、帝はそうそうもお引止めになれず、ご自分がお見送りさえもあそばされぬ心もとなさを、いいようもなく悲しくおぼしめす。実につやつやと美しくてかわいらしく見える方が、すっかり面やつれして、まことにしみじみと世の悲しみを感じていながら、言葉に表してそれを申しあげることもせず、人心地もなくうつらうつらしていらっしゃるのをごらんになると、帝は、あとさきのご分別もおなくしになって、あらんかぎりのことを泣く泣くお約束あそばすけれども、更衣はお返事を申しあげることもおできにならない。まなざしなども、ひどくだるそうにして普段よりもいっそうなよなよと、正体もないようすで横たわっているから、帝はどうしたことかと途方にくれておいでになる)

 この場面で注目したいのは、更衣の様子が「うつくしなる人」(うつくしくてかわいらしく見える人)・「たゆにて」(まなざしなどもひどくだるそうで)と接尾語「げ」を用い、帝の視線を通して「~そうに見える」と捉えられた更衣のありようを鮮明に浮かび上がらせるものとなっている。更衣への思いに裏うちされたまなざしは、単なる客観的な描写とは異なり、まごうかたない身体性を備えている。このことは続く部分にも「聞こえまほし」・「あり」・「苦し」・「たゆ」と多用される。つまり、桐壺巻の更衣は帝のまなざしによってしか捉えられないような、かよわく、なよなよした存在として息づいているのである。
 そうかと言って物語は、帝の愛情に満ちた把握のみが正しく、周囲の視線が誤解の視線だと、一義的に決めつけているのでもないように見える。周囲の視線が更衣への偏見と嫉妬によって歪められているのと同じように、帝の視線は更衣への愛情によって逆方向に歪められてもいる。ここで繰り返される「~げ」は、更衣への愛に溺れ、同情と哀れみ以外のすべてが視野に入らなくなってしまった帝の更衣の把握の一面性を際立たせ、強調されているのである。