古典に学ぶ (113) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─「宇治十帖」物語の病と死⑧ 大君の病② ー
                           実川恵子 

 前に引用した薫と大君の和歌の贈答部分と帖名の「総角(あげまき)」とは、紐の結び方を指し、最後に両端が垂れるが、上と左右に輪を造る。その左右の輪が少年の結髪の「あげまき」に似、そして、中央で交互に結びあわさることによるものである。きわめて暗示的なことばといえよう。
 大君にとっては、薫と結ばれることによる幸福の保証を見出すことはできなかったのであろう。薫から寄せられる深い愛情も、自分が薫に寄せる敬愛も、好意も、信頼の思いも、薫とのこれまでのような関わりにおいてこそあり得たのであるが、いわゆる世間並みの男女としての関係が生じてしまったら、あえなく崩れてしまうに違いない、というのが大君の確信であったろう。また、薫は自身のことを正面から言うことはできずに、洩らす溜息に代える程度により口に出しえないのは、大君のあまりに高貴な気に打たれてしまうことが多いからであった。

 この時、薫は24歳、大君は2つ年上の26歳であった。女は年とともに容色が衰えてゆく。自分の周辺の年老いた侍女の姿に将来の自分を見、そのような自分がどうして薫の愛情をつなぎとめることができようか、そんなはずはありえないと思い続けるのである。そして、男は一人の妻のみを守るのではない。ことに、薫のような身分や地位、人柄の優れた人物に、いかに宮家の娘とはいえ、しかとした後見もない、貧しく零落している自分がどうして釣り合うのだろうか。権勢のある高貴な家の姫君が北の方として迎えられるであろうことは必至なことである。そう考えると、互いに結ばれないままでこそ、相手に憧れ、また敬い続けることもできようが、夫と妻という夫婦関係になってしまうと必ずお互いの幻想が崩れ、相手を疑い、傷つけ、互いに憎まねばならない事態を避けることはできないのだ。薫との間に、今のような麗しい関係を保持するためには、薫と結ばれないでいることより他はないというのが大君の考えなのである。

 物語の作者は、これまで光源氏の人生を取り巻く多数の女性の生き様を描出してきたが、ここでまた新たな問題を提起した。
 源氏の子とはいうものの、実際は柏木と女三宮との罪の子である薫に、現世に否定的な信仰と愛の矛盾を担わせ、その人生を照らし出す相手として、このような大君という独自な女性をここで登場させた意味を考えたいものである。
 そして、この薫の求婚に頑なに応じようとしない大君の姿勢は誰からも支持されなかった。もしも、大君が薫を夫として通わせることになれば、世間から忘れられたこの八宮家にもすばらしい春がめぐってくる。周囲の女房たちには、大君のこの態度はいかにも頑なで、理解しがたく思われたのであった。この孤立無援の彼女は、やむをえず妹の中の君を薫と縁づかせようと思いたった。そして、自分はこの二人の夫婦を見守る後見的な立場をとることにしたい、というのが大君の結論であった。しかし、この意向が薫に受け入られるはずもなかった。
 薫は、中の君に固執する大君の気持ちを変えるために、中の君を先に縁づかせることを思い立った。そして、彼は前から宇治の姫君たちに一方ならぬ関心を寄せていた匂宮を手引きし、中の君の寝所に忍びこませたのであった。だが、この計略によって薫は手痛い報復を受けることとなった。