「晴耕集・雨読集」1月号 感想                 柚口満 

鳥渡る伝言のなき伝言板堀井より子

 昔は駅の伝言板なるものを使ったことがある。改札口の近くに集合を決めていても遅れて来ない人へ、先に行く、どこどこで待つと、いった具合であった。
 しかし最近はこの伝言板が少なくなったし、また掲句にあるように利用する人もいないようだ。世の中はいろんなシステムが変わりいまは一人に一台のスマホ時代、人への伝達の手段も格段に変わったということだろう。「鳥渡る」という事象は変わらぬもの。伝言板は変わるもの、その取り合わせの妙がこの句の眼目である。

初鴨のまだ声たてずかたまれり奈良英子

 鴨と言えば冬の季語だが初鴨は秋の季語。早いものは8月下旬から9月ごろに日本に到着する。一番手の初鴨は下見のように5、6羽のグループで来ることが多いといわれる。
 その様子を詠んだのが掲句で中七から下五のようにまだ声を大きく出すでもなく、小さくかたまっているだけだった、と詠む。観察の眼の鋭さが光る。
 句作にあたり「初」がつくものに出会ったときは、特にそのあり様を丹念に拾うことが肝心であることを教えられた。

隧道の彼方明るし秋の声実川恵子

 この句に出てくる隧道は自然豊かな山中にある小さなトンネルを想像してみた。入り口からみると彼方に見える半円の出口は美しい明るい光に満ち、進むうちに暗い穴の静寂を縫って先ず爽やかな風が頰に届く。少し進めば木々のざわめきが、そしてまた進めば鳥の声が幾種類か耳に届く。季語の秋の声は心の内に聞こえる深い含蓄のある本意を有するが、この句は隧道の彼方の出口をうまく設定して、ひと味違う秋の声を生み出した。

和毛つく地玉子ぬくし今朝の冬坂﨑茂る子

 立冬を迎えた鶏小屋での嘱目吟である。いつものように小屋を覗くと丸々と大きめの卵が柔らかい和毛をつけて産み落とされていた。しかも手に取ると生みたてのようでほんのりと温かったという。今朝の冬にふさわしい情景ではないか。
 卵と言えば本来は物価高に対抗して安い値の代表格として有名であったが、今は飼料の高騰、鳥インフルエンザ蔓延で台所の家計を脅かす。掲句のように子飼いの鶏が産んだ卵には感謝しなければならない。

水底の日向をゆけり下り鮎田中里香

 下り鮎の一生は儚く、またその生き方に感動を覚える人も多いと思う。早春の頃に川を上り始め、必死に堰や急流を超え苔を餌に夏を過ごし秋になると産卵、そのあとは急速に体力がなくなり死という運命に従ってゆく。
 その寂しい下り鮎の様子を詠んだのが掲句。水底を這うように川を下る鮎、柔らかな秋の日が労わるように鮎の身を包む。見守る作者の優しい視線が感じられる一句である。俳句はものに託する文芸といわれるが、水底の日向がそれである。

師よ黄泉はよく鳴る瓢の実ありますか飯牟礼恵美子

 最近の句で先師、棚山波朗さんと瓢の実とを取り合わせた句が散見されたが、これは氏が瓢の実を愛し上手に笛を吹かれたからであろう。
 この句も語り掛けるような調子で師を偲ぶ一句にされた。黄泉の世の瓢の実に心を馳せ、巧みに笛をあやつる師の姿を想像している。

秋晴や丸ごと家を洗ひたし宇井千恵子

 秋の晴れた空気を胸いっぱいに吸い込んでいろいろなことをしてみたい、そういう思いは誰しもが持っている。それは運動会であり、旅行であり農産物の収穫であったりする。ところがこの句はまるごと自分の家を洗ってみたいという。大胆な発想である。年季の入った家を快晴の中で洗えば綺麗になる。夢みたいな思いは秋晴の素晴らしさに起因している。

錠剤のどれかが苦きそぞろ寒木曾令子

 晩秋の寒さに詠む季語には、「やや寒」「うそ寒」そしてこの句にある「そぞろ寒」などがあるが微妙な感覚を大切にしたい。小生には毎朝呑む錠剤の薬がある。色の違いもあるし苦いものもある。同時に口に放り込むのでどれが苦いのかはわからない。少しずつ数が増える薬に苦笑する作者、そぞろ寒が効いている。

まほろばに煙一条田を仕舞ふ田中せつ子

 倭(やまと)は国のまほろば、と日本武尊が詠んだ歌がある。大和は住みやすい、素晴らしい所であるとの意味である。掲句は上五にまほろばという日本の古語を配し古代文化の発祥地、奈良盆地の田仕舞を格調高く詠みあげた。ひと筋の煙の一条が悠久の歴史へと誘うようだ。