今月の秀句 蟇目良雨抄出
「耕人集」2021年5月号 (会員作品)

老いるとは物失すること冴返る田中せつ子

野火走る我が放蕩も終りつつ池田年成

アイシャドー濃き人なりし雪女岩朱夏

老境に入りて薄氷踏むやうに大塚紀美雄

晴れ渡る近江八景鳥帰る居相みな子

古茶新茶やかんを持たぬ若夫婦石橋紀美子

水を渡り花を愛でたる西行忌衛藤佳也

鑑賞の手引 蟇目良雨

老いるとは物失すること冴返る
 老いることの出来る人は賢い人だと思う。無防備に生きては事故に遭ったり、防げたはずの病魔に倒されてしまう。死は運命と片付けてしまっても構わないが賢く生きることが老いることができることだと思う。物欲を捨てたあとに清澄な心を得たと言えば判りやすいか。

野火走る我が放蕩も終りつつ
 猛々しい黒煙と焔を上げて野火が一面の野を焼きつくし通りすぎてゆく。野火を見て火というものに改めて敬虔な気持ちを抱く人は多く居よう。野火を放蕩の業火として見る作者であるが、当時は手に負えなかった心の昂りも年をふるにつれて収まってみれば、それはまさに眼前の野火が収束するのに似ているのである。

アイシャドー濃き人なりし雪女
 雪女に会える人は稀だし、まして顔まで見る事が出来た人は何人もいないだろう。都会に住んでいる僕たちが真っ赤なルージュを引いていた雪女だと言ってもそれは言葉遊びに過ぎない。雪国に住む作者が「アイシャドーが濃い」と言ったことで真実に近いように思はされる。

老境に入りて薄氷踏むやうに
 芭蕉は満五十歳で最期を遂げた。「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる 芭蕉」以後の、芭蕉が老境に入った俳句を私たちは読みたいといつも思っている。掲句は芭蕉が老境に入って詠んだ句と思えてくるほど格があると感じた。

晴れ渡る近江八景鳥帰る
 簡単に言っているようだが計算された一句である。句意は「晴れわたる琵琶湖一帯」を鳥が帰って行くところですよというもの。近江八景のあちらこちらからも鳥が帰ってゆくところですと具体的に表現したことによりそれぞれの名勝地が浮かび上がってきて効果的である。

古茶新茶やかんを持たぬ若夫婦
 新茶が出たので娘夫婦の家を訪れて飲ませようとしたら、お茶を入れる急須も土瓶もありませんと言われたので、それでは薬缶でもいいからお出しなさいといったところ、薬缶も使わないのでありませんと言われた場面が一句になったのであろう。固定電話はありません、ファックスもありません、新聞も取りません、スマホでニュースを見ますという若い世代の人たちの考えに驚く作者が見える現代的な句だ。

水を渡り花を愛でたる西行忌
 西行忌に花は即き過ぎだと思うが、ここでの花は川の流れを渡って辿り着いたところにある花ですよと言われればもう即き過ぎなどと言えない。ここには作者の風狂な姿が見えるからだ。まだ寒い中を水に足を浸けて花に辿り着いたような具体感がこの句にはある。いい句だと思う。