平成時代最後の「雲の峰」「春耕」合同吟行会が開かれ、その内の、丹波青垣町東芦田出身の細見綾子先生の生家を始めゆかりの場所を訪ねたのでご報告します。

細見綾子生家へは嘗ては福知山線の柏原駅が唯一の玄関口だった。今は自動車道を利用することが便利になった。図の①春日ICを降りる。次に②を降りる。

舞鶴若狭自動車道(春日于IC)を降りて北近畿豊岡道の青垣ICで降りて加古川沿いに南下すると10分ほどで綾子生家に着く。

バスの右がわ細見綾子生家跡

細見綾子生家前で

芦田地区の皆さんと一緒に

今は廃校になってしまった芦田小学校の最近の卒業生の子供達が集まってくれて校歌を歌ってくれた。

「春耕」「雲の峰」の連衆と細見綾子生家前で

綾子生家室内

細見綾子語り部 芦田朝子さん

左 朝妻力  右 丹波俳壇の足立可水氏

春耕幹部と地元の芦田朝子さん、足立可水さんと

庭の一部

母屋から庭の蔵へ

母の遺愛の糸繰り機

おくどさんから囲炉裏を見る

綾子遺愛の鏡台

綾子誕生に備えて父喜市があつらえた産湯の盥。明治40年1月新調と書かれてある。綾子は明治40年3月31日生まれ。

高座神社前から細見綾子生家を眺める

高座神社の「でで虫が桑で吹かるゝ秋の風」句碑

高座神社にある「でで虫が桑で吹かるゝ秋の風」綾子句碑

青垣町から柏原(かいばら)の柏原高等女学校へ細見綾子は通った。

綾子の通った柏原高等女学校の校舎(今はたんば黎明館になっている)

たんば黎明館にある「雉子鳴けり少年の朝少女の朝」綾子句碑。揮毫は綾子でなく地元の書家。

綾子生家にある「20歳の綾子と婿に迎えた東大医学部助手太田庄一」の記念写真.。太田庄一が若死にをしなかったら幸せな医者の家庭を築いて細見綾子は一生を終えたかも知れぬ。俳人細見綾子は太田庄一の哀しい死の上に生まれた。