春耕俳句会は、有季定型の俳句と和楽の心で自然と人間の中に新しい美を探求します。第五感・第六感を働かせた俳句作りを心がけます。
会員作品秀句鑑賞 - 耕人集

耕人集●2019年7月号(通巻480号)

「耕人集」 5月号 感想  沖山志朴

鶯に足を止めしがそれつきり草野准子

 省略が効いている。鶯の鳴き声に、思わず立ち止まり、次の鳴き声をじっと待つものの、一向にその後の声が聞こえてくる気配がない。作者の残念がるつぶやきが聞こえてきそうである。
 芭蕉のよく知られた言葉に「いひおほせて何かある」がある。「それつきり」の後には、「再び鶯の声は、聞こえてくることはなかった」の意味が省略されている。掲句は、我々が、句作の時に常に注意しなければいけないポイントを教えてくれている気がする。   

初蝶は神代の使ひ石舞台中谷緒和

 石舞台は、奈良県の明日香村にある古墳。巨石を用いた横穴式石室は蘇我馬子の墓とする説もあるが、今もって様々な謎に包まれている部分が多い。
 初蝶を、神代からの使いかもしれないと想像する作者。後世の人たちは、秘められた謎を様々に推測する。初蝶は、もしかすると、その謎に包まれた神代から遣わされてきたのかもしれないと見立てたところが面白い。

撫牛の春光を吸ふひとところ安奈朝

 牛の座っている像を撫でて、自分の病気を治そうとする信仰の習俗は日本に古くからあったようだ。どこの神社の境内かは分からないが、かなり古くからある撫牛なのであろう。その一か所が、参拝者がよく撫でるために地金が浮き出て光り、地の色があらわになっている情景。
 中七の「春光を吸ふ」という擬人的な表現が巧みである。地金の明るくなった部分に春の光が集まって、それが輝いている様子を「吸ふ」と表現した。何気ない表現のようでありながら、作者の苦心がうかがえる修辞である。

立春大吉祈る言葉を草に木に正田きみ子

 高齢になってくると、冬の厳しい寒さは辛いもの。ひたすら春の到来を祈るようにして待ち続けるしかない。掲句には、そんな春を迎えた高齢者の歓びが漲っている。
 冬を無事に越えられたことへの感謝とともに、命への賛歌であり、恵み豊かな年になりますようにという願いであり、さらに安全への願いでもある。具体的に表現したことで説得力のある句となった。 

濡縁に鶏の足跡日脚伸ぶ藤井達男

 都会の慌ただしく推移する時間とは全く逆な、長閑でゆったりと流れる田園の時間やおおらかな情景が描かれている。
 屋敷の中を自由に動き回って餌をあさる放ち鶏。時には人が見ていない隙に泥のついた脚で濡縁にまで上がってきては、中の様子を窺ったりもする。気温も上がって日脚も伸びてきて、そこはかとなく春の気配も感じられる長閑な農村の光景。取合せが巧みである。

風を呼ぶ一気呵成の野焼かな江藤孜

 野焼や山焼の火が勢いを得ると、そこに上昇気流が発生し、やがて火災旋風が巻き起こる。そして、時には思わぬ速さで走った火が大きな事故を起こしたりもする。
 初句の「風を呼ぶ」から、掲句の野焼もかなりの規模のものと考えられる。炎が高く上り、上昇気流が生じ、風が炎に向かって勢いよく吹き込んできたのであろう。視覚的にも、聴覚的にもそれは人の想像をはるかに超えた状況。作者は冷静にそれを描きとり、焦点化して表現している。

白息の水行僧の水しぶき池田栄

 水行という外的な素材を客観的な手法で冷静に描きながら、作者の内的に起こる様々な感懐をそれとなく表現している句である。
 真冬の厳しい寒さの中で、水行をする一人の僧。「水しぶき」は滝の流れが激しく、水量の多いことを表現している。僧は、経を唱えているのであろうが、もちろん水音でそれは余り聞こえない。ただ白い息が勢いよく吐き出されるのが見えているだけである。作者はただただ圧倒されるばかり。畏敬の念とともに、改めて修行の道の厳しさを思い知らされたのであろう。

揚船に縋りて消ゆる波の花佐藤文子

 波の花は、能登の生まれの主宰の句にも時折取り上げられる季語なので、春耕の会員にはなじみがある。作者のお住まいの村上市あたりでも、冬になると日常的に見られる光景かと想像する。
 掲句は、陸に引き上げられた船に縋り付くようにして張り付いていた波の花が、強風に煽られて剝がされるように飛び去って行った瞬間を捉えたもの。擬人法を用いながら一瞬の波の花の動き見逃すことなく活写している。

耕人集●2019年7月号(通巻480号)

「耕人集」 5月号 感想  沖山志朴

鶯に足を止めしがそれつきり草野准子

 省略が効いている。鶯の鳴き声に、思わず立ち止まり、次の鳴き声をじっと待つものの、一向にその後の声が聞こえてくる気配がない。作者の残念がるつぶやきが聞こえてきそうである。
 芭蕉のよく知られた言葉に「いひおほせて何かある」がある。「それつきり」の後には、「再び鶯の声は、聞こえてくることはなかった」の意味が省略されている。掲句は、我々が、句作の時に常に注意しなければいけないポイントを教えてくれている気がする。   

初蝶は神代の使ひ石舞台中谷緒和

 石舞台は、奈良県の明日香村にある古墳。巨石を用いた横穴式石室は蘇我馬子の墓とする説もあるが、今もって様々な謎に包まれている部分が多い。
 初蝶を、神代からの使いかもしれないと想像する作者。後世の人たちは、秘められた謎を様々に推測する。初蝶は、もしかすると、その謎に包まれた神代から遣わされてきたのかもしれないと見立てたところが面白い。

撫牛の春光を吸ふひとところ安奈朝

 牛の座っている像を撫でて、自分の病気を治そうとする信仰の習俗は日本に古くからあったようだ。どこの神社の境内かは分からないが、かなり古くからある撫牛なのであろう。その一か所が、参拝者がよく撫でるために地金が浮き出て光り、地の色があらわになっている情景。
 中七の「春光を吸ふ」という擬人的な表現が巧みである。地金の明るくなった部分に春の光が集まって、それが輝いている様子を「吸ふ」と表現した。何気ない表現のようでありながら、作者の苦心がうかがえる修辞である。

立春大吉祈る言葉を草に木に正田きみ子

 高齢になってくると、冬の厳しい寒さは辛いもの。ひたすら春の到来を祈るようにして待ち続けるしかない。掲句には、そんな春を迎えた高齢者の歓びが漲っている。
 冬を無事に越えられたことへの感謝とともに、命への賛歌であり、恵み豊かな年になりますようにという願いであり、さらに安全への願いでもある。具体的に表現したことで説得力のある句となった。 

濡縁に鶏の足跡日脚伸ぶ藤井達男

 都会の慌ただしく推移する時間とは全く逆な、長閑でゆったりと流れる田園の時間やおおらかな情景が描かれている。
 屋敷の中を自由に動き回って餌をあさる放ち鶏。時には人が見ていない隙に泥のついた脚で濡縁にまで上がってきては、中の様子を窺ったりもする。気温も上がって日脚も伸びてきて、そこはかとなく春の気配も感じられる長閑な農村の光景。取合せが巧みである。

風を呼ぶ一気呵成の野焼かな江藤孜

 野焼や山焼の火が勢いを得ると、そこに上昇気流が発生し、やがて火災旋風が巻き起こる。そして、時には思わぬ速さで走った火が大きな事故を起こしたりもする。
 初句の「風を呼ぶ」から、掲句の野焼もかなりの規模のものと考えられる。炎が高く上り、上昇気流が生じ、風が炎に向かって勢いよく吹き込んできたのであろう。視覚的にも、聴覚的にもそれは人の想像をはるかに超えた状況。作者は冷静にそれを描きとり、焦点化して表現している。

白息の水行僧の水しぶき池田栄

 水行という外的な素材を客観的な手法で冷静に描きながら、作者の内的に起こる様々な感懐をそれとなく表現している句である。
 真冬の厳しい寒さの中で、水行をする一人の僧。「水しぶき」は滝の流れが激しく、水量の多いことを表現している。僧は、経を唱えているのであろうが、もちろん水音でそれは余り聞こえない。ただ白い息が勢いよく吐き出されるのが見えているだけである。作者はただただ圧倒されるばかり。畏敬の念とともに、改めて修行の道の厳しさを思い知らされたのであろう。

揚船に縋りて消ゆる波の花佐藤文子

 波の花は、能登の生まれの主宰の句にも時折取り上げられる季語なので、春耕の会員にはなじみがある。作者のお住まいの村上市あたりでも、冬になると日常的に見られる光景かと想像する。
 掲句は、陸に引き上げられた船に縋り付くようにして張り付いていた波の花が、強風に煽られて剝がされるように飛び去って行った瞬間を捉えたもの。擬人法を用いながら一瞬の波の花の動き見逃すことなく活写している。

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