古典に学ぶ (93) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を繙く
─ 『源氏物語』に描かれた「病(やまい)」①─    
                            実川恵子 

 「近代文学は病気から始まる」とよく言われる。それは『源氏物語』でも同じである。この抗うことのできないコロナ禍で、文学に描かれる「病」とは人間にどんな意味を投げかけるのだろうか。『源氏物語』には、次のような多くの「病」が描かれる。

① 「わらわやみ」、瘧(おこり)・「えやみ」ともいい、隔日または毎日一定時間に発熱する感染症の病で、 多くはマラリアを指す(「若紫」巻)。
② 「しはぶきやみ」、咳病(がいびょう)と呼ばれ、咳、頭痛を症状とする気管支炎や流行性感冒に相当する(「夕顔」巻)。                
③ 「風病(ふびょう)」、風・風の病・みだり風とも呼ばれる。神経性疾患をも指す(「宿木」巻)。
④ 「脚病(かくびょう)」、「あしのけ」ともいう。かっけのこと(「夕霧」巻)。
⑤ 「腹の病」、腸炎や下痢・便秘などを言うのであろう(「空蟬」巻)。
⑥ 「胸の病」、「胸のけ」とも。胸部全般にわたる様々な病気を言い、結核性疾患も指す(「若菜下」巻)。
⑦ 「歯の病」、老齢で歯の抜けた状態を言う(「賢木」・「総角」巻)。
⑧ 「目の病気」、朱雀院が夢で桐壺院に睨まれて、「御目わづら」ったとある。

 これらの中で、①の「若紫」巻の有名な北山の垣間見場面を考えてみたい。ご存じのように、この「若紫」と言う巻の名が暗示するように、色好みの光源氏が実質的に恋の冒険に乗り出していくのがこの北山訪問である。この場面は、『伊勢物語』初段の昔男の春日の里訪問と垣間見の趣向をなぞっている。

 むかし、男、初冠して、平城(ら)の京、春日の里にしるよしして、狩に往にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男垣間見てけり。おもほえず、古里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。

 成人式をあげて、成人した男として春日の里を訪れ、平城京に不釣り合いで優美な女姉妹を垣間見して、動揺し惑乱する。『伊勢物語』では、都の南方の奈良の京、春日の里を舞台にしているのに対し、『源氏物語』は対照的に、北山を舞台として、垣間見から始まる恋の物語を語ろうとしている。また、『伊勢物語』がその対象を「女はらから」とするのに、『源氏物語』では、尼とその孫の幼い姫君である。また、『伊勢物語』が狩という若者らしい山野での激しい行いを描いているのに対して、『源氏物語』ではこのわらわ病みに侵された気弱な光源氏を描いている。それも『伊勢物語』の色好みの昔男を模倣しながらもそれとは大きく食い違い、冴えない恋の冒険が始まっていくのである。その冒頭には、「わらわ病みにわづらひたまひて」(わらわ病みにおかかりになって)その治療のために北山に出かけていくというのが光源氏の北山訪問の理由であった。時は3月の下旬、今の4月下旬頃、しかもこのマラリアのような伝染性の強い「わらわ病み」を、季節外れに光源氏だけが患い、こじらせているのである。この時ならぬわらわ病み発病とはいったいどうしてなのか。一定の時間を経て高熱を発するという、この光源氏の病状にはどんな深層の理由があるのか。『伊勢物語』の「狩」ならぬ「病」に焦点があてられていることに大いに注目したいところである。