古典に学ぶ (81) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を紐解く
─ センセーショナルな物語のはじまり② ─    
                            実川恵子 

 『源氏物語』の冒頭は、「桐壺」という巻である。その物語のはじまりを告げることばに、微細にこだわって読むことが大切なことだと思われる。なぜなら、『源氏物語』の特質である微視的な言語宇宙が、案外巨視的な世界と深くかわっているところにあるからである。その有名な冒頭を次にあげたい。
 
 いづれの御時(おほむとき)にか、女御(にようご)、更衣(かうい)あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
 「帝(みかど)はどなたの御代(よ)であったか、女御や更衣が大勢お仕えしておられた中に最高の身分とはいえないお方で、格別に帝のご寵愛をこうむっていらっしゃるお方があった」

 まず、「御時」ということばに注目したい。「時」に「御」という敬語がつけられ、ある天皇の治世を意味している。今と違って、平安時代の天皇は若年に即位し、壮年期の終わりに退位するのが普通で、その在位のことを「御時」という。この「御」ということばは『源氏物語』の中に多数登場する。現在では「御」が一般的だが、そのころは「おほむ」で、この場合のように天皇の場合だけ「おほむ」が使用されている。
 そして、この「いづれの御時にか」の文末が、「か」と、疑問のかたちで閉じられていることに注目したい。つまり、「どの帝がお治めになった御代であったのか」という限定された時と疑問から、『源氏物語』は限定されているという事実である。
 また、『源氏物語』は、それ以前の物語の冒頭表現と明らかに異なっている。「物語の出来始め」(物語の祖先)と評される『竹取物語』から順にその冒頭部分を列挙すると、次の如くである。
 
 今は昔。竹取の翁といふものありけり。(『竹取物語』)
 昔、男、初冠して、奈良の京春日の里に、しるよしして狩にいにけり。(『伊勢物語』)
 今は昔、男二人して女一人をよばひけり。(『平中物語』)
 今は昔。中納言なる人の、女(むすめ)あまた持たまへるおはしき。(『落窪物語』
 昔、式部大輔左大弁かけて、清原王(きよはらのおおきみ)ありけり。(『うつほ物語』)

 このように『源氏物語』以前の物語の冒頭部分は、今を起点として、漠然とした「昔」という時空をさすのに対して、『源氏物語』の始まりを告げることばは、どの天皇の在位中のことであったかという、ある限定された「社会」というものをを暗示させるような機能が付与されていると思われる。まず、この点が画期的である。
 これに続き、「女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に」(女御や更衣がたくさんお仕えしておられた中に)とある。辞書には「女御とは、中宮の次に位置し、天皇の寝所に侍した高位の女官、主に摂関家の娘がなり、平安中期以後は女御から皇后を立てるのが普通」、そして「更衣」には「大納言以下の娘がなる」とある。また、皇后は普通一人だが一条天皇の時、藤原道隆の娘である定子がなった他、道長の娘の彰子が入内して中宮と称した後には后が並立することもあったようである。
 そして、この文章に続き「あまたさぶらひたまひける」とあって、天皇には多数の女性がいたが、この冒頭には「女御、更衣」とだけあって、「皇后(あるいは中宮)」が省かれている。このことは「皇后」が不在であり、皇后立后をめぐる物語であることを暗示させていることを告げているのである。