古典に学ぶ (82) 日本最高峰の物語文学『源氏物語』世界を紐解く
─ センセーショナルな物語のはじまり③ ─
実川恵子
天皇の后妃たちにはなぜ身分があるのか。その女性の家柄の相違もあるが、この身分の違いによって、天皇との性的交わりの回数にかかわっていたという。その実態はタブーであるから不明なのだが、帝王学で決まっていたらしい。つまり、この時代の摂関政治体制では、天皇とのかかわりが多ければ多いほど、次代の天皇を産む確率が高いというわけである。
だから、「あまたさぶらひたまひける」ということばの「お仕えする」という意味の中に、性的なイメージも込められるのであろう。つまり、天皇の身の回りの世話は内侍などの女房が担当するのであるから、「さぶらひ」とは性的交渉そのものをさすということであろうか。ただし、その〈性〉を軸に、音楽・和歌・絵画などの後宮文化というものが取り巻いていたということになる。
そして、「あまた」とある数は、大体2、30人以上を想像出来るであろう。続く、「いとやむごとなき際(きは)にはあらねど」の、「やむごとなき」は「止やむ事なき」の意で、無視することができないことから、高貴で、重々しいという意味で用いられることばである。続く「際」は、家柄の意で、出身の家柄を表現するのである。
つまり、ここは「それほど重々しい家柄ではないかたが」の意となる。そのかたが、「すぐれて時めきたまふありけり」(良い時期にあって優遇される)、つまり、天皇に寵愛されて、性的なかかわりが多かったというのである。それほど重々しい身分でない一人の后妃が、天皇から愛されてしまったという「ねじれ」がここに示されるのである。言い換えれば、天皇は本来なら、身分に応じて后妃を愛さなければならないはずなのに、その規則を破って、重々しい家柄ではない一人の后妃を愛してしまったというのである。帝王学の違犯、これこそ『源氏物語』の原点であり、このことが冒頭に語られる桐壺の更衣の死という悲劇を生みだしてしまうのである。
このように、『源氏物語』物語のはじまりの3行の短い文章には、
① どの天皇の在位中のことであるか、という疑問。
② 「女御更衣あまたさぶらひける中に」に示される、なぜ中宮が不在なのか、という疑問。たくさんの后妃が仕えているのなら、当然中宮争いがあるのだろうという想像。
③ 「いとやむごとなき際にはあらぬが」では、どの程度の家柄なのだろうか、という疑問。
④ 「すぐれて時めきたまふありけり」では、なぜ一人の后だけが、寵愛されたのかという疑問。
⑤ だから、その后は他の多くの后妃たちからの恨みをかっているにちがいないという想像がうかんでくる。
このように、短い冒頭文には、4つの疑問と2つの想像を内包しているということが見えてくる。また、『源氏物語』以前の物語の冒頭の「今はむかし。竹取の翁というものありけり」(竹取)や、「昔、男ありけり」(伊勢)などには、疑問や想像というものを読者に投げかける機能はない。
このように、『源氏物語』の冒頭からは、読者に繰り返される「なぜ」の論理はこの物語を読むための基本的な方法であることがわかってくる。そして、常に一つ一つの文章にこの問いかけを試みることによって、〈読み〉は限りない深さを獲得していくのである。あるいは、この4つの疑問と2つの想像だけではなく、また更なる新たな疑問や想像を、この冒頭文から見つけ出すことも可能となるのである。
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