古典に学ぶ(144)
 日本最高峰の物語文学『源氏物語』の世界を繙く
─ 「病」と「死」を物語はどう描いたか㉘ 本質的なもの① ─
                                                               実川恵子

 浮舟物語とは、「源氏物語」がその長大な物語を閉じるにあたって、最後にうってでたきわめて野心的な試みであったと思われる。源氏を中心に構築せられた至高の権力世界と対抗するように、ここにあるのは浮舟という使い捨てにされた「さかさまの主人公」によって逆に照らされた社会である。物語は最後に正編と倒立する世界を完成させて終わろうとしている。これまでの宇治十帖の物語展開とは、結局のところ、そこに至るまでの長い道のりであったようだ。まとまりもつかぬままここまで書いてしまった。そろそろ終わりにしたい。
 「源氏物語」に描かれる「病」の特色は二つある。一つは、一般的な病がすべて網羅されること。もう一つは病を「もの思ひに病づく」、「もの思ひ」が病の原因であり、それは一貫して死に至る病であるという観点である。
 物語の中でも「もの思ひ」「うらみ」「なやまし」という語は、物語上重要な意味を持つものと思われる。それは常に死を前提に書く物語であり、喪失感の文学ともいえる。
 死を媒介とした時、愛はどのように維持できるのか。そして、身代わりを求めてしまう満たされない心理とはいかなるものか。病と死と老いという暗い要素をせめぎ合うように生きる意味とは何か。ここにこそ愛の究極が輝き出す瞬間である。ここにこそ「源氏物語」という長編物語のもっとも本質的な部分があるといえるのではなかろうか。
 私がこの「源氏物語」の「病」と「死」のテーマに拘り始めたのも、ちょうどコロナ過のあたりであった。紫式部が「源氏物語」を書き始めたのも1001年、長保3年の頃と考えられている。その直前わずか、4,5年のうちに4回もの疫病の大流行があり、京の人口の3の1、高級官僚の半数が亡くなるのである。紫式部はそのさなかに物語を書き起こし、立ち向かっていくのである。その本質を明らかにするような物語を書いている。
 ここであらためて今まで触れてきた「源氏物語」の「病」と「死」についてもう一度簡単に振り返ってみたい。
 なんと言っても注目されるのは、物語の始まりと桐壺更衣の死である。悲恋の破滅的な終了からこの物語は始まる。このような不吉な物語の始まりはとても珍しい。この不吉な冒頭はなぜ必要だったのか。とても興味深いものがある。それは「源氏物語」が身分というものへの強いこだわりを持ち、その身分制度と愛が一致しない時の葛藤と相克を問題にしている作品であるということである。ここに注目したいところである。次に描かれるのは、廃院の怪異と夕顔の女である。光源氏がそれまで体験したことがなかった中流階級の女との出会いが語られる。はなはだ内気で頼りなげで、おおらかでものやわらかな夕顔の魅力のとりこになる。正妻の葵上や誇り高く思慮深い六条御息所との、常に緊張を強いられる交わりとは異なり、身も心も限りなく安らぐ快さである。われながら不思議としか思われぬ異常な執着心であり、なくてはならぬ人であった。この死の場面も印象深い。
 八月十五夜、夕顔の宿で夜明けを迎えた源氏は、女とともになお静かな水いらずの一時を過ごしたいと願い、侍女の右近を伴い暗闇の中、六条の某院に赴く。鬱蒼と木立が茂り、池も水草に埋もれ、人けもない荒れた邸であった。源氏は脅える女を慰めつつこの別世界で愛を確かめた。その夜半、源氏は美しい女が陰々たる恨み言を述べ、かたわらの夕顔を起こそうとする奇怪な夢を見る。何ものかに襲われる感じに目をさますと、漆黒の闇のなかで、女は震え正気もない。動転した源氏は寝所に戻ってみると、女は既に息の通わぬ人となる。紙燭の中に、先ほどの夢の中の女が幻のように立ち現われ、消え失せるのを見る。源氏の人生史に顕著な一齣をなすこの夕顔物語は忘れられない。