コラム「はいかい漫遊漫歩」 松谷富彦
(52)うつむいて歩けば桜盛りなり 野坂昭如
作家の野坂昭如さんが2015年12月9日、85歳で亡くなって間もなく1年になる。1963年に小説『エロ事師たち』で作家デビューする前にすでに放送作家、CMソングの作詞家として作品を量産、幕開けした民放テレビの売れっ子作家の一人だった。同じ63年には、『おもちゃのチャチャチャ』の作詞で第5回日本レコード大賞童謡賞、『エロ事師たち』発表の四年後に『火垂るの墓』『アメリカひじき』の2作品で直木賞を受賞。
この間にも洋酒のCM「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか」では、自ら山高帽、タキシード姿のダンディな中年男を演じ、「黒の舟唄」でシャンソン歌手デビュー。同時に硬派の社会評論を書き、参議院議員(二院クラブ)も務めた。「闇市焼け跡派」を名乗り、硬軟間口の広い作家活動をしたが、2003年5月、脳梗塞で倒れ、闘病生活12年余。倒れた後も暘子夫人の口述筆記で作品に挑み、憂国の評論も書き続け、「新潮45」2007年4月号から連載を続けていた『だまし庵日記』を口述し終え就寝した直後、心不全で急逝。
〈 …秋のはじめに誤嚥性肺炎とやらに見舞われ、スッタモンダ。…あせらない、あせらないと妻が呪文のように唱えているが、僕はちっとも焦っちゃいません。さて、もう少し寝るか。この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう。〉(『絶筆』野坂昭如著 新潮社刊)これが文字通り絶筆に。
野坂さんは、文壇句会の高点取り俳人でもあった。リハビリの脳力アップの一環にと元編集者、宮田昭宏さんの勧めで巻いた「ひとり連句」二巻のうち「寝床の中の巻」の「月の座」で詠んだ句〈 名月や橋の下では敵討ち 〉を詩人で俳人でもある八木忠栄さんは〈 …「チャンバラ映画の撮影でもいい」というのが自註。連句のこむずかしい約束事に拘泥することなく、自在に言葉遊びを楽しんでいる点がすばらしい。〉(『ひとり連句春秋』ランダムハウス講談社刊)と鑑賞。
(53)『絶筆』に鏤められた野坂昭如の憂国的遺言
急逝の数時間前に筆を置いた文字通りの絶筆を巻末に収めた作家、野坂昭如さん最後の著書『絶筆』(新潮社刊)は、闘病12年余の間に口述筆記で書き上げた3つの公開用リハビリ日記と九編のエッセイからなる379ページに及ぶ“大作 ”である。
『火垂るの墓』『アメリカひじき』と同じ1967年に『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞した五木寛之さんは、『絶筆』の帯に書く。〈 五十年あまりの仲間であり、恩人であり、時代に対しては共闘者であった。無頼派を演じつつも、本質は傷つきやすい芸術家だったと思う。野坂昭如ノーリタン。ひとつの時代が終った。 〉と。『絶筆』には、揺れ動く時代を見つめ、憂国の思いを込めた警世の言葉が鏤められている。そのいくつかを引く。
〈 日本がエネルギー源を持たざる国であることは自明の理、昨日今日始まったことじゃない。…日本は本来の技術を持っている。稲と麦を淡々と作り、食べていけばいい。戦争に勝利者はいないとよく言われる。戦争は乱である。農作は和である。故に憲法第九条は正しい。〉〈 原発とは、原爆の次に、あたりを荒廃せしめる危険をはらむ施設。原爆は一瞬、原発は一生。〉
〈 子供たちは歴史を知らず、これは大人の責任。そしてその大人の多くが、もはや戦争を知らない。戦争経験者がいなくなる一方で、憲法改正の動きが活発になっている。敗戦で得た教訓を捨てて、気づけばまた同じ道を進もうとしている。〉〈安倍首相は、歴史や伝統の上に立った誇りを守る、国のために尊い命を落とした英霊を慰めるのはあたり前だと、これを正当化。…お国のために死ぬことが崇高な行為だと、いま声高にのたまうのは、未来の若者を戦地におもむかしめるための下ごしらえであろう。〉
しだれ梅まず一番に春を告げ 昭如 桃節句にこりともせずちらし食う 同
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