コラム「はいかい漫遊漫歩」      松谷富彦

(104)俳句とは冬日だまりのひとり言  杏太郎

 前号で『今井杏太郎全句集』(角川書店刊)の紹介を2話にわたって紹介したが、『全句集』400頁の半分を占める「随筆・俳論」から紙幅の許す範囲で、「鶴」の師、石塚友二から“鶴では風変わりな作者”と言われた杏太郎の俳句観を生の言葉から拾ってみたい。杏太郎が昭和44年、「鶴」に入会した1年後に亡くなった師の師である創設者の石田波郷について、「なにもしなかった波郷」のタイトルで同57年11月号に寄稿した俳論の冒頭部分から引く。

 〈 朝飯をわづかに食へり散るさくら 波郷

 「鶴の眼」(註.第二句集)の中の1句である。波郷は、その俳論「俳句愛憎」の中でかういってゐる。“所詮俳句は生活のあらはれであるべきである。石を詠っても雲を描いても僕は作者の生活の中の慾や無為やがあらはれるものだと考える。そして人を搏つのはさういふ慾や無為の上にがっしりと立った作者の人間全体であらう”と。波郷のいふ慾とか無為とはいったいどういふものなのであらうか?何日も考へた挙句「鶴の眼」をよみ返してみた。(中略)

 飯を食ふといふ現実の慾望と、また食はねばなるまいと思ふ朝のけだるさの中に散ってゆくさくら。その一瞬に青年波郷のささやかな満足感と、そのあとのけだるい無為感とが見事に表白された句と考へてよいであらう。なにもかもあるがままにゐて、そのあるがままの心に遊ばうとしてゐるのである。〉

 次は「鶴」500号記念号に掲載された「自句自解五十句」から拾う。

 〈 俳句とは冬日だまりのひとり言  杏太郎 昭和五十年作。

 俳句とは?など、まじめになって考えていたのである。それ以来、未だに考え続けているが、そのときより何等進展がない。“冬日だまりがまあまあだな”と稚魚さん(註.「鶴」同人仲間の岸田稚魚)が言うてくれた。近ごろは、己にむかって喋ることの楽しさを考えている。〉

 〈 老人の坐ってゐたる海の家  杏太郎  昭和五十九年作。

   東京句会の合評の折、“この句は、夏でも晩夏なんだろうね”と、ひとり言を洩らすように仰有っておられた友二先生(註.師、石塚友二)の姿が、妙に頭にこびりついている。老人は、作者の自画像である。〉

 「魚座」同人で杏太郎を師とした仁平勝さんも、『全句集』の解説で“作者の自画像 ”に触れ、

 老人のあそんでをりし春の暮 

 老人の息のちかくに天道蟲

 老人が被つて麦稈帽子かな

の句を第一句集『麦稈帽子』から引いて書く。

 〈 杏太郎は「老人とは人間の生きざまの果てに、かがやいているもの」だという。思うにこの三人称には、作者自身も投影されている。いいかえれば、「老人」は自らを客観化する契機でもある。すなわち、石田波郷の「俳句は一人称の文学である」という俳句観を自身の信条として引継ぎながら、その「一人称」から自我を取り除いた。動詞をことさら省略しないのも、杏太郎流の「一人称の文学」である。〉と。(次話に続く)

(105)ラ・マンチャの男に吹いて秋の風  杏太郎

 今井杏太郎が平成9年に創刊した俳誌「魚座」に連載された「魚座作品抄論」(『今井杏太郎全句集』収載)から自らの「呟けば俳句」論に触れた文章を引く。

 〈 …人は、時に、他人の「ひとり言」を聞く機会にめぐまれることもあるが、他人の「呟き」を聞くことは、滅多に無い。

  ここで「ひとり言」と「呟き」の違いを理屈をつけて申し述べる勇気はないが、ただ一つだけ言えることは、「呟き」とは、あくまでも己れ自身に対する憂いの思いであって、少なくとも他人に洩らすべき言葉としては存在しない。

 これに反して「ひとり言」とは、まわりにいるであろう誰かに、聞いて貰いたい、という無意識下の甘えの意識が働いているように思われるのであるが…。即ち「呟き」とは、己れ自身への語りかけに他ならない。これが、俳句というものなのであろう。

もう 秋か 軽井沢へ 言つてみよう 杏太郎(平成17・8号)〉

 前話に続いて「自句自解五十句」から引く。

 〈 老人が被つて麦稈帽子かな  杏太郎  昭和六十年作。

  帽子というものは、手に持っているだけではなんの役にも立たない。被ることによってはじめて帽子としての存在感が確立する。この麦稈帽子も、老人が被ったその瞬間、きらきらとした麦稈帽子になったのである。そしてまたそこに老人の安堵が見られる。〉

「魚座」時代に杏太郎に師事した仁平勝さんの『全句集』の解説から引く。

 〈 老人と老人のゐる寒さかな   杏太郎 

 「老人」を詠んだ代表作だろう。「老人と老人」にしてみれば、たがいに温め合おうとしているかもしれないのに、それを(いくぶん自虐的に)「寒さ」と断言してしまう。そこに《老人に嫌われてゐる蜥蜴かな》《老人が通るよ葱の匂ふなり》といった句が加わると、この「寒さ」はまさに底無しになる。〉

そして、仁平さんは、全句集の解説の最後に書く。

〈  ラ・マンチャの男に吹いて秋の風  杏太郎 

  思うに杏太郎は、風車に立ち向かうドン・キホーテのロマンに共鳴している。「呟けば俳句」というのは、じつは言葉のロマンなのだ。その無用性ゆえに不滅である。〉と。