コラム「はいかい漫遊漫歩」  松谷富彦
(174)マグロは赤身が一番!?

 「黄金バット」の紙芝居作家、評論家、庶民文化研究家、時代考証家と多彩な肩書で活躍した加太こうじさん(1998年没、享年80歳)は、庶民的な味を愛した美食家だった。マグロは好物だったが、極上の赤身を良しとし、トロ、取り分け大トロは「人間の食うものじゃない」とけして口にしなかった。

 「江戸時代は捨てていたのを脂っこいものが好きな進駐軍の兵隊たちが喜んで食った。そして洋食なれしてきた日本人もトロをありがたがり出して、近ごろは猫も杓子も大トロさまさま」と加太さん。正月になると、加太さんは親しいマスコミ関係者たちを東京金町の自宅に招いて、大皿に山盛りのマグロの刺身を振舞った。コラム子もご馳走になった1人だが、本マグロの極上の赤身と普段食べている刺身とのあまりの違いに驚いたものである。

  それもそのはず江戸時代から日本橋魚河岸、築地魚市場で商売を続けているマグロ問屋「尾寅」の主人自らが選んだ「赤身」の逸品。2人は、短歌を通じての付き合いで、「魚河岸の兄貴」「金町の兄貴」と呼び合う仲だった。

 「尾寅」13代目の尾村幸三郎さん(2007年没、享年97歳)は、短歌誌「芸術と自由」同人で歌集「まぐろの感覚」を持つ自由律口語短歌の歌人、また久保田万太郎の「春泥」会員、俳句誌「魚影」編集発行人を務め、尾村馬人の俳号で句集「庶民哀歌」「美しき銭」「いちば抄」などがある俳人店主。関東大震災で壊滅した日本橋魚河岸で生まれ育ち、築地移転後も魚河岸人として仲卸の仕事を続けながら名著「日本橋魚河岸物語」(青蛙房刊)を世に問うた。ちなみに最近27年ぶりに同じ版元から新装版が復刻されたのはうれしい。

  ところで面白い馬人句がある。句集「いちば抄」の春の部の中に「加太こうじ兄へ」の前書付きの2句。〈 中トロはわが生涯よ四月馬鹿 〉〈 中トロは少し眺めてから喰べる 〉「赤身が一番」と肝胆相照らす2人だったが、句意をぜひ聞きたいが泉下の俳人に訊く由もないのが残念。

柿くはぬ腹にまぐろのうまさ哉正岡子規

魚河岸の晝の鮪や春の雪高浜虚子

敬老の日の給食の鮪鮨角川源義

これやこのとろまぐろ鮨冬の夜は村山故郷

ひやひやと鮪に垂らす醤油かな日野草城

通夜の鮨まぐろが赤き夜寒かな草間時彦

焼津より鮪売来る秋まつり橋本榮治

海贏打や鮪庖丁恐しく野村喜舟

此の岸の淋しさ鮪ぶち切らる加倉井秋を

(175)マグロの立身出世

    いまや“魚の王様”と言えばマグロ。かつては後述する理由で下魚扱いだったのが、日本人に限らずユネスコの無形文化遺産になった「和食」取り分け鮨人気で、食のグローバル化の先端を走る。お蔭で遠洋のマグロ漁場の漁獲規制は厳しくなり、本マグロなどは、文字通り“黄金の魚”と化しつつある。

 平安時代の昔から上、中、下魚の格付けがなされていた。冨岡一成著『江戸前魚食大全』草思社刊から引く。〈 平安中期の史料「延喜式」や「和名類聚抄」には、淡水魚のコイ、アユ、マス、淡水でも獲れるサケが重要魚とされ、朝廷料理にも重用されていたことが記されている。鎌倉時代の故実書「家中竹馬記」でも「魚の中にも鯉は第一也。河魚は前、海の魚は後なり」と川魚を上等とし、なかでもコイを最上とした。〉

 江戸時代になると、上魚トップの座を独占してきたコイと肩を並べたのがタイ。幕府や大名家の祝祭行事に欠かせぬ魚として、体色の赤が邪気を払うとされたタイが、姿の美しさに加え、白身の旨さでコイより格上に。延享3年(1746)の手稿本「黒白精味集」の魚貝分類を『江戸前魚食大全』から孫引きする。

 【上魚】タイ、マス、アンコウ、アマダイ、サヨリ、シラウオ、スズキ、サケ、サワラ、カレイ、アユ、タラ、コイ、フナ、シジミ

 【中魚】タコ、ナマコ、コチ、ヒラメ、メジカ、アジ、アラ、イカ、ボラ、アカウオ、アカエイ、カツオ、ホウボウ、イシモチ、ウナギ、アサリ、ハマグリ

 【下魚】イワシ、ニシン、カニ、ハゼ、マグロ、サバ、フグ、コノシロ、サッパ、ドジョウ、ウグイ、クジラ、ムツ

 現代感覚で首を傾げる分類も、漁業技術、輸送力、保存技術の時代事情を反映しているのが分かる。ちなみに前話に登場のマグロ問屋「尾寅」も多摩川や相模川で天然アユが豊富に獲れた江戸時代は、アユ納入の御用問屋だった。

鮪またぎ老いのがにまた競りおとす 橋本多佳子

背番号呼ばれて落ちし糶り鮪鈴木真砂女

凍鮪千畳なすを糶り尽す鷹羽狩行

一本六百万円の大まぐろなり糶始尾村馬人

夕凪やのこぎりでひく大鮪皆川盤水

凍てまぐろ鋭き鉤をはねかへす森田 峠

鋸で尾鰭まづ切る大鮪山城やえ