俳句時事(172)
作句の現場「那智火祭」  棚山波朗
那智火祭は那智大社の例大祭の一つで、毎 年7月14日に行われている。もとは那智の滝にあった社が那智山中腹に新しく造営されるとともに、神々を神輿で移した神事から始まったものと伝えられている。
火祭の神輿は幅1㍍、長さ10㍍の框に緞子を張り、金地に朱の日の丸を描いた扇を6本、大小の白銅鏡などを飾りつけたもので、扇神輿と呼ばれている。
行列の順序は先頭が小松明を持った子の使 い、次いで五本の大骨に白紙を貼り、神馬を描いた馬扇、そして扇神輿と続く。扇神輿を担ぐ人を「扇指し」と言い、総勢60人ほど。
前日から精進潔斎をしてこの日にそなえたという。
行列は「オリャオリャ」と掛け声をかけながら参道を進む。滝そのものが御神体である 飛瀧神社へ里帰りするわけで、重さ50キロもある大松明が参道を清めながら迎えるのである。
扇神輿が長いため、石段を下りたり、カーブを曲がる時が大変である。ぶつからないように気を付けながらゆっくりと進む。
やがて「伏し拝」という広場に到着。ここでは神官に見守られながら、扇神輿が横一列に並べられる。全部揃ったところで今度は1体ずつ立てられて行く。これを「扇ほめ」と言い、そのつど大きな拍手が起こる。
石段で神輿と出会った松明は、大きな掛け声とともに上り下りして清める。松明は燃え盛り、火の粉があたりに飛び散る。松明にはそれぞれ付け人がいて、用意してあった桶の水を杓子やお椀で汲んで振りかける。
大松明による炎の乱舞が終わると、扇神輿は御滝の広場に下り立った。ここで烏帽子をつけた権宮司が、1番から順番に水の精を表した「打ち松」で神輿を打ち、神霊の御降りを念じる。
この後、12体の神輿は御滝前に飾られ、「御滝本大前の儀」が始まった。
続いて松明所役の青年によって「御田刈の式」が行われた。木の鎌を肩にかつぎ、笛や太鼓に合わせ、田刈の歌を唄いながら田に見立てた正方形の中を歩く。田刈の歌は「秋の田を刈り行けば、草葉の露に裾ぬれぬ」というものである。
この後は「那な ばくまい瀑舞」が行われ、御滝本神事をしめくくった。扇神輿は再び本社へ還御することになっている。
松明と神輿が火の粉を振り撒きながらの渡御は壮観そのもの。那智大社によれば毎年全国から一万人近くが訪れ、この奇祭に酔いしれるという。
宿から近かったので翌日再び斎場へ行ってみた。祭りに関するものはすっかり片付けられ、何事もなかったように静まり返っていた。
高さ133㍍、幅3㍍の大滝は、しぶきをはね上げながら落下していた。どこからか蟬の鳴く声が聞えてきた。