自由時間 (43) ボブ・ディラン山﨑赤秋  

                                      
 10月13日、スウェーデン・アカデミーは今年のノーベル文学賞を米国のシンガー・ソングライター、ボブ・ディラン(75)に授与すると発表した。授賞理由は「米国の歌の偉大な伝統の中で新しい詩的表現を創造してきた」ことに対してである。同アカデミーのウェブサイトには彼の経歴が掲載されているが、その中で「彼は偶像視されており、現代音楽に与えた影響は深遠で、文学のゆるぎない支流の中心にいる」と高く評価している。
 彼自身が「自分は第一に詩人であり、第二に音楽家であると思っている」と述べているとおり、彼の50有余年に及ぶ詩業が評価されての受賞ということであろう。
 今までに刊行された詩集(というか歌詞を収載したもの)は何冊もあるが、2014年刊行の最新の詩集(「ザ・リリックス」=歌詞集)は、三十三のオリジナル・アルバムの歌詞を集大成したもので、九百六十一頁もあり、LPの大きさで価格は二百九十九ドル。片手では持てないほどの重さだ。
 ボブ・ディランは、1941年5月24日に、米国中北部のミネソタ州ダルースで、在米ユダヤ人三世として生まれた。六歳のとき、母の実家のあったヒビングに引っ越す。ダルースの北西百キロのところにあり、世界一の露天掘り鉄鉱床があることで有名な鉱業の町である。どこにでもあるような田舎町。メインストリートは左右に三ブロックしかなく、そこが商店街。そこに、父が兄弟でやっていた電気屋があった。彼の初めての仕事は店の掃除。
 引っ越した家に、ギターとレコードプレーヤー付きラジオがあった。ギターを爪弾き、ラジオから流れる音楽を聴いて別の人間になった気がした。生まれる場所を間違えたような気がした。それから音楽にのめり込む。夢中になって聴いたのは、ブルース、カントリーそしてロックン・ロールだった。
 高校時代には、友達とバンドを結成して場所があれば演奏して回った。校内演奏会でも演奏したが、あまりの騒音に校長が怒ってマイクのスイッチを切る、という事件もあった。
 卒業式の翌日に町を出てミネアポリス(州最大の都市)に行く。特に当てがあったわけではない。新しい世界を知るために町を出たかったのだ。ミネソタ大学に入るが、授業には出なかった。仲間と夜通し歌い、ギターを弾く。勉強する時間はなかった。
 特に、フォークソングの父といわれるウディ・ガスリーの歌(「この国は君の国」が特に有名)や著作に傾倒する。彼がハンチントン病でニューヨークの病院に入院していると聞き、見舞いに行こうと思い立ち、ヒッチハイクをしてニューヨークに向かう。
 そしてそのままニューヨークにとどまり、グリニッチ・ヴィレッジのあちこちの店で歌っていると、コロンビア・レコードの凄腕プロデューサーの目にとまり、レコードを出さないかといわれる。1962年、ファースト・アルバム「ボブ・ディラン」発売。
 そして現在に至る。
 最後に、彼のもっとも有名な歌「風に吹かれて」の歌詞を観賞しよう。

人はどれだけの道を歩めば
人と呼ばれるのか
白鳩はどれだけの海を渡れば
砂浜で眠れるのか
砲弾がどれだけ飛び交えば
永久に禁止されるのか
友よ その答えは風に吹かれている
その答えは風に吹かれている

 この歌は、「私には夢がある」ではじまるキング牧師の演説で有名なワシントン大行進(1963)のときにも彼自身によって歌われた。あの時代の精神を見事に伝えている。冒頭の「人」は、もちろん黒人のことである。