自由時間 (53) バガヴァッド・ギーター 山﨑赤秋
今年は日印友好交流の年。というわけで日本及びインドの両国において様々な交流事業が実施されている。
その一環というわけではないが、この9月、安倍首相はインドを訪問した。首相は、インドのモディ首相の案内で、かつてガンディーが住んでいたサバルマティ・アシュラムや二年前に開館したばかりのダンディ・クティール(ガンディー博物館)を訪れ、インド独立の父マハトマ・ガンディーのあの丸眼鏡や糸車などを観て彼の人となりとその偉業をともに偲んだ。
ガンディーの写真はたくさん残っているが、その中に大事そうに本を抱えて写っている写真がある。その本とは『バガヴァッド・ギーター』である。彼の愛読書である。
『バガヴァッド・ギーター(以下『ギーター』と略す)』は、ギリシャの『イーリアス』『オデュッセイア』と並ぶ世界三大叙事詩の一つに数えられる古代インドの神話的叙事詩『マハーバーラタ』全十八巻の巻六の一部である。表題の意味は「神の歌」である。戦闘を前にした最強の勇士アルジュナとクリシュナ(神)との対話の形式をとっている。
宗教にはそれぞれ聖典とされるものがある。キリスト教は『聖書』、イスラム教は『コーラン(クルアーン)』、仏教はいろいろあるのでまとめて「仏典」、ユダヤ教は『ヘブライ語聖書』と『タルムード』、天理教は『おふでさき』『みかぐらうた』『おさしづ』の三書、・・・などなどである。
インド、ネパール、バリ島などに合わせて九億人を超える信者を持つヒンドゥー教の聖典として先ず挙げられるのは、バラモン教起源の四つのヴェーダ(知識)である。中で一番よく知られているのは『リグ・ヴェーダ』で、讃歌を集めたものである。
ヴェーダと並ぶ、いやそれ以上に親しまれている聖典が『ギーター』である。インドのヒンドゥー教の聖地といわれるところへ行くと、『ギーター』だけを売っている本屋がある。といってもキオスク程度の大きさであるが、いろいろな種類の『ギーター』が山積みされている。『ギーター』だけで商売になるのである。
敬虔なヒンドゥー教徒であったガンディーは、『ギーター』を「無私の行為の福音」と呼び、次のように述べている。
「私にはギーターの目的が自己実現のための最もすばらしい道を示すことにあるように思われます。そしてこれは、私心のない行為によって、欲から離れた行為によって、結果を動機としない行為によって、全ての行為を神に捧げることによって、すなわち自身を自身の体と精神にゆだねることによって、完遂されるのです」
「私はギーターの中に安らぎを見ることができます。それはイエスの山上の垂訓より深い印象を私に残しました。疑いや失望を抱いたとき、水平線に一条の光すら見えないとき、私はギーターに立ち戻ります。ここそこで私を慰めてくれる詩句を見つけ、そうするうちにどうしようもない悲劇のさなかでもたちまち笑顔になります。私の人生は悲劇の連続でした。もし、それら悲劇が目に見えない傷跡や消すことのできない影響を何ら残していないとすれば、それはギーターのおかげです」
『ギーター』は十八章、七百行からなるが、その中から特に愛誦されている詩句のいくつかを以下に記す。
(上村勝彦訳による)
◇アルジュナよ、女々しさに陥ってはならぬ。それはあなたにふさわしくない。卑小なる心の弱さを捨てて立ち上がれ。(2 : 3)
◇しかしクンティーの子よ、物質との接触は、寒暑、苦楽をもたらし、来たりては去り、無常である。それに耐えよ、アルジュナ。(2 : 14)
◇人が感官の対象を思う時、それらに対する執着が彼に生じる。執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生ずる。怒りから迷妄が生じ、迷妄から記憶の混乱が生ずる。記憶の混乱から知性の喪失が生じ、知性の喪失から人は破滅する。(2 : 62, 63)
◇海に水が流れこむ時、海は満たされつつも不動の状態を保つ。同様に、あらゆる欲望が彼の中に入るが、彼は寂静に達する。欲望を求める者はそれに達しない。(2 : 70)
◇親しい者、盟友、敵、中立者、中間者、憎むべき者、縁者に対し、平等に考える人は優れている。(6 : 9)
◇実に、知識は常修より優れ、瞑想(禅定)は知識より優れ、行為の結果の捨離は瞑想より優れている。捨離により直ちに寂静がある。(12 : 12)
◇欲望、怒り、貪欲。これは自己を破滅させる、三種の地獄の門である。それ故、この三つを捨てるべきである。(16 : 21)
10月の歌舞伎座は、日印友好交流年記念事業の一環として、新作歌舞伎『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』を上演する。主演は尾上菊之助。彼が演じるのは、シヴァ神と迦楼奈(カルナ)という太陽神と人間のハーフ。
菊之助は、8月、ニューデリーの日本大使館で行われた文化交流イベント「日本・インド伝統芸能の夕べ」で、地唄舞『鐘ヶ岬』を披露したあと、ヒンドゥー教の寺院やヒンドゥー教の聖地・ハリドワールを訪れ、ガンジス川にもその手を浸した。役作りに大いに役立ったに違いない。ところで、『バカヴァッド・ギーター』は、一体どんな場面になるだろうか。
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