自由時間 (59) 石牟礼道子逝く          山﨑赤秋

 

 母の胎盤は毒を通さない、とかつては信じられていた。それを覆したのは水俣病である。メチル水銀化合物は通してしまったのである。人類初めての経験。画期的に恐ろしい事例であった。
 

 チッソは、1907年(明治40年)に水俣で操業を開始した。メチル水銀化合物を排出するアセトアルデヒド・合成酢酸設備の稼働を開始したのは32年、このときから排水を処理することなく水俣湾へ流す。不知火海の汚染が始まる。40年代から、周辺の住民の間で原因不明の奇病が発生し、50年代には、魚の浮上、猫の狂死、海鳥やカラスの落下などの現象が観察されるようになる。
 53年、のちに水俣病と公式に確認された第一号患者(五歳十一ヶ月)が発病、三年後死亡。54年、水俣病発見の糸口となる男性患者がチッソの附属病院に入院し、細川一院長らが初めて診察する。細川院長らは直ちに調査を始め、二年後の56年5月1日、水俣保健所に原因不明の神経疾患児が続発していることを報告。この日が水俣病発生の公式確認日とされる。
 同年11月、熊本大学が、水俣病はある種の重金属(のちに有機水銀と特定)中毒で、人体への侵入は魚介類による、汚染源としてチッソ水俣工場排水が最も疑われる、と結論づける。58年7月、厚生省が、チッソ水俣工場廃棄物に含まれる化学物質により有毒化された魚介類が原因と発表。しかし、チッソはそれらの見解を否定し、操業・排水を続ける。これはもう犯罪である。チッソが設備を止めたのは、十年後の68年5月のことであった。
 61年3月、脳性麻痺と診断されていた二歳の女児が死亡。解剖して調べた結果、胎内で起こった水俣病と断定。胎児性水俣病の初の認定。
 68年9月26日、政府が水俣病について正式見解を発表し、公害と認定する。熊本についてはチッソ水俣工場の廃水に含まれるメチル水銀が原因と断定する(新潟水俣病についても昭和電工鹿瀬工場の排水に含まれるメチル水銀が原因と断定)。
 69年、患者とその家族がチッソの企業責任を問い、損害賠償請求の訴訟を起こす。73年、患者勝訴の判決(確定)。
 2004年、最高裁が国と熊本県の行政責任を認め、賠償を命じる判決を下す。
 09年、「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」成立。水俣病の公式確認から五十三年が経っていた。
 

 水俣病は、チッソ水俣工場の排水に含まれていたメチル水銀化合物を魚介類が吸収して蓄積し、それが食物連鎖を通じてさらに高濃度になり、その魚介類を毎日たくさん食べていた住民の間に発生した中毒性の中枢神経疾患である。
 手足がしびれる、震える、ひきつける、物をつかんだり歩いたりできなくなる、視野が狭くなる、耳が聞こえにくくなる、うまく喋れなくなる、などが代表的な症状である。さらに劇症の人は、意識を失い、手足や身体を激しく動かし、昼夜の別なく叫び声をあげ、壁をかきむしり、発病から一ケ月ほどで亡くなることもあった。
 貧しい漁民の集落で集中的に発生したことから、伝染病ではないかと疑われ、いわれのない差別を受け、働き手の発病により生活はたちまち困窮した。原因不明のため、やむを得ないことであったが、消毒されたり、発病すると隔離されたりした。
 

 石牟礼道子は、1927年に天草で生まれ、間もなく水俣に移り住む。家業は石工で、チッソの岸壁などの工事を請け負う。実務学校を卒業後小学校の代用教員になる。二十歳のとき小学校教師と結婚、教員は辞め専業主婦に。翌年、長男誕生。平凡な主婦として暮らしていたが、詩歌や文章を書くことには興味があり、三十一歳のとき、詩人・谷川雁が主宰する「サークル村」に参加する。熱心な会員で、会員誌に積極的に寄稿していた。
 59年5月、息子が結核で入院していた水俣市立病院に行ったときのこと、特別病棟にいた水俣病患者を目にする。何人もの尋常ではない患者を見て思わず立ちすくむ。このとき、「水俣病事件に悶々たる関心とちいさな使命感を持ち、これを直視し、記録しなければならぬという盲目的な衝動」にかられる。そして、水俣病患者をつぶさに見舞ったときから、彼らの死霊・生霊が彼女に憑依する。彼らの決して往生できない魂のつぶやきを一字一字書き綴ったのが『苦海浄土 わが水俣病』(第一部)である。69年に刊行。その後、第三部『天の魚』、第二部『神々の村』と四十年にわたって書き継ぐ。彼女は、チッソの企業責任、国・県の行政責任を問う患者たちの闘争においても常に寄り添い、控えめながらジャンヌ・ダルクのごとくであった。この2月10日、パーキンソン病の悪化により死去。九十歳。
 最後に『石牟礼道子全句集 泣きなが原』から十句。

祈るべき天とおもえど天の病む
さくらさくらわが不知火はひかり凪
盲杖嫗がひとり花ふぶき
水底に田の跡ありき蓮華草
湖に沈みし春やぼけの花
女童や花恋う声が今際にて
うつせみの殻にやどりし夢あわれ
亡魂とおもふ蛍と道行す
生皮の裂けし古木に花蕾
おもかげや泣きなが原の夕茜