自由時間 (71)  ハマーショルドと俳句            山﨑赤秋

 1956年12月18日、国連総会で日本の国連加盟案が全会一致で可決された。日本は晴れて80番目の加盟国となり、国際社会への仲間入りを果たした。5年前のサンフランシスコ講和条約調印直後から加盟を申請していたが、東西冷戦の影響を受け、ソ連に阻まれていた。56年10月の日ソ共同宣言により日ソの国交が正常化したため、ようやく実現したのだ。

 ときの国連事務総長は、スウェーデンのダグ・ハマーショルドであった。(スウェーデン語では、ダーグ・ハンマルフェルドと発音する)
 彼は1905年7月29日、4人兄弟の末っ子として生まれた。貴族の家系で、父は法律家として要職を歴任し、彼が生まれたときは駐デンマーク大使だった。のち、第一次世界大戦のときには首相を務めている。

 幼少期から大学を卒業するまで、大学都市ウプサラで育った。父が、デンマーク大使のあとウプサラ県知事になったからである。その公邸であるピンク色のウプサラ城が彼の我が家であった。(現在、ウプサラ城は、三つのミュージアムになっている)

 北欧最古の名門ウプサラ大学(1477年創設)に入学し、文学士号、経済学修士号さらに法学士号をとり、25歳で大学を離れ、財務省に入省する。以後順調にキャリアを重ね、31歳で財務省の事務次官となり、5年後にはスウェーデン国立銀行の総裁を兼務する。42歳のとき、外務省に転じ、次官を経て無任所大臣として入閣する。ただし、どの政党にも属すことはなかった。

 47歳で国連総会のスウェーデン代表となり、そして、53年4月、全会一致で第二代国連事務総長に任命された。57年9月、全会一致で再任。(その間、54年にスウェーデン・アカデミー会員となる。会員であった父の死去に伴うもので、子が父の地位を引き継いだのは初めてのこと。彼は、三島由紀夫の『金閣寺』を高く評価し、不慮の死を遂げる直前、三島をノーベル文学賞の候補として推薦していた)

 浜の真砂は尽きるとも、世に紛争の種は尽きない。彼の在任中にも、多くの紛争があった。彼が解決に尽力した主な紛争は、朝鮮戦争の米兵捕虜解放問題、スエズ危機(第二次中東戦争)、ハンガリー動乱、コンゴ動乱などである。それに対処するに、対立する東西両陣営の狭間でどちらに与することもなく、国連平和維持軍を創設するなど、国連主体の紛争解決を目指した。
 コンゴ動乱のとき、内戦の調停にあたるためコンゴに向かっていた彼の乗る飛行機が墜落し、乗客乗員16名が全員死亡した。当初は事故と伝えられたが、どうも撃墜されたようだ。1961年9月18日のことである。まだ56歳だった。

 その死後、ニューヨークの自宅から30年に亘って綴られた日記が見つかった。日記といっても、日々の出来事を記したものではなく、自らの思索の断片を折に触れて書き記した魂の日記である。日記は『道しるべ』の名で、世界各国で出版された。日本では、ICU 学長(当時)の鵜飼信成の訳で、67年に出版されている。

 日記は20歳の時から書き始め、死ぬ1ヵ月前まで断続的に綴られている。一行しかないものもあれば、数十行に及ぶものもある。例えば、こんな文である。
   狭き道──おのが魂を救おうとして他人のために生きる。
   広き道──おのが自尊心を救おうとして他人のために生きる。

   樹木の限界線に咲いている花の前で謙虚な気持ちになる時、山巓に向かう道がおまえのために開かれるのである。

   善良さとは、つぎのような、なにかごく単純なことなのである──いつでもほかの人たちのために生き、けっして自分自身の利益を探しもとめぬこと

 最後の3年間は詩を書き綴っているが、1959年の章には、HAIKU が登場する。彼の本棚に『俳句入門~芭蕉から子規までの句と俳人』(ハロルド・ヘンダーソン著、1958)という本があった。読んで俳句に魅了されたようだ。俳句といっても、三行に分かち書きした十七音節詩で、もちろん有季定型ではない。百十一句あり、冒頭には次のような句がおかれている。
(たわむれに翻案した五七五を付す)

Seventeen syllables(十七音節が)

Opened the door(扉を開く)

To memory, its meaning.(追憶とその意味への)
追憶の意味へみちびく十七音

 あと二句ほど紹介する。

The northern warbler`s first trill (北虫食いの初音)

Over the pale ice fields (青い氷原をわたり)

Thaws the heavens.(空を溶かす)
虫食ひの初音荒野の凍て緩む

The cicadas shrieked, (蝉が甲高く鳴いた)

The air glowed a fiery red (大気が真っ赤に燃えた)

Their last evening.(彼らの最後の夕べ)
火と燃ゆる夕陽や終の蟬の声