自由時間 (77) 初代吉右衛門の俳句 山﨑赤秋
東京銀座の歌舞伎座では毎月歌舞伎公演が行われているが、年に1度だけ歌舞伎座に行くとしたら、9月がお薦めだ。平成18年(2006)に初代中村吉右衛門の生誕120周年を記念して、「秀山祭九月大歌舞伎」という公演が行われた。初代の孫であり養子の当代吉右衛門が、初代の舞台に対する姿勢、歌舞伎に対する思い、役者の魂を受け継ごうという思いのもと立ち上げたものだ。それ以後、9月の秀山祭は恒例となり、毎年、上質な舞台を見せてくれている。「秀山」とは初代吉右衛門の俳名である。
令和初の秀山祭の演目は、〈昼の部〉「極付幡随長兵衛」「お祭り」「伊賀越道中双六・沼津」〈夜の部〉「菅原伝授手習鑑・寺子屋」「歌舞伎十八番の内 勧進帳」「秀山十種の内 松浦の太鼓」という歌舞伎ファンならばお馴染みの名作ばかり。出演は、中村吉右衛門以下、片岡仁左衛門、中村梅玉、中村東蔵、中村雀右衛門、中村福助、中村歌六、中村魁春、中村又五郎、中村錦之助、片岡孝太郎、松本幸四郎、尾上松緑、尾上菊之助ほかの豪華な顔ぶれ。
吉右衛門は、昼の「沼津」の呉服屋十兵衛と夜の「寺子屋」の松王丸を演じた。どちらも当たり役でさらに磨きのかかった感動的な舞台を見せてくれた。その「寺子屋」には、中村福助が出ていた。6年前のちょうど9月に女方の大名跡・中村歌右衛門襲名を発表した矢先、11月に体調不良で休演。脳内出血による筋力低下だった。リハビリに努め、舞台に復帰したのは去年の秀山祭で4年10ヶ月ぶり。今年、舞台に出るのは、1月、4月に次いで3度目となる。まだ右半身が不自由で、息子の中村児太郎が手を貸していた。果たして歌右衛門を襲名できるのだろうか。
もう一つめでたかったのは、同じ「寺子屋」で、吉右衛門と娘婿の尾上菊之助とその息子の尾上丑之助の三代が顔を揃えたこと。丑之助くんは5歳であるが、台詞も朗々としていて立派な舞台。父方の祖父が尾上菊五郎、母方の祖父が吉右衛門。ともに人間国宝というサラブレッド。遺伝子をうまく受け継げば、よほどの名優になるに違いない。
さて、初代の中村吉右衛門はすごい役者だったらしい。彼へのオマージュとして有名なのは、小宮豊隆の「中村吉右衛門論」である。小宮27歳のときに2歳下の吉右衛門の芸を論じたものである。その冒頭、「文壇で会つて見たいと思ふ人は1人も居らぬ。役者の中では会つて見たいと思ふ人がたつた1人ある。会つて見たら色々の事情から多くの場合失望に終はるかも知れぬ。夫にも拘らず藝の力を通して人を牽き付けて止まぬ者は此の唯一人である。此唯一人とは云ふ迄もない、中村吉右衛門である。」贔屓が過ぎる、褒めすぎという感があるが、20代前半の役者がこれだけ観客を魅了することができるというのは凄いことだ。
初代は、明治19年(1886)に、初代中村時蔵(のちの三代目中村歌六)の次男として浅草に生まれた。母は江戸の芝居茶屋「萬屋吉右衛門」の娘。芸名中村吉右衛門の「中村」は父方に、「吉右衛門」は母方に由来している。この名前で初舞台から死ぬまで通した。歌舞伎役者は襲名なるものを何度か行うのが常であるが彼はしなかった。しきたりなんか気にしない人なのだ。そして、一代で大名跡にしたのである。
十代のときから浅草の子供芝居に出演し、神童の名をほしいままにし、後生畏るべし、と評判をとった。そのころの歌舞伎界はいわゆる「團菊左」の時代であった。九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎、初代市川左團次らの名優が並び立っていた。その3人が、明治36~37年(1903~4)に相次いで亡くなる。そのとき、五代目の死後ひと月で六代目を襲名した尾上菊五郎も吉右衛門も、まだ20歳まえの若者であった。
二十代になると、2人の大活躍がはじまり、人気は鰻登り。ここに、いわゆる「菊吉時代」の幕が切って落とされた。やがて2人は押しも押されもしない大立者になり、それは戦後まで続く。先に逝ったのは菊五郎で昭和24年(1949)没、享年63。菊五郎亡きあと、吉右衛門は名実ともに歌舞伎界の頂点に立ち、昭和26年には歌舞伎俳優では初めて生前に文化勲章を授与されている(菊五郎も授与されているが死後追贈)。最後の舞台は、昭和29年7月に歌舞伎座で演じた「一谷嫩軍記・熊谷陣屋」の熊谷直実だった。そのふた月後、9月5日に帰らぬ人となる。享年68。
初代吉右衛門は、趣味に俳句、弓道、書、小唄などをたしなんだ。いずれも玄人はだしで、弓道は自宅に道場を作るほど。俳句は高濱虚子に学んだ。昭和19年にホトトギス同人となる。では、歌舞伎にちなんだ句をいくつか。
白粉の残りてゐたる寒さかな
松過ぎて年始まはりの役者かな
道かへて桜の道を歌舞伎座へ
初秋の海を見晴す楽屋かな
幕間に彼岸詣りもして来たる
東山すだれ越しなる楽屋かな
顔見世のこの一日のあたたかさ
雪の日や雪のせりふをくちずさむ
破蓮の動くを見てもせりふかな
吉右衛門の死に臨み虚子は次の句を手向けた。
老松の露の一時にこぼれけり
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