鑑賞「現代の俳句」 (1)                    沖山志朴

鮭は目を啄まれつつ産みにけり照井翠[暖響]冬北斗死して一本松立てり
ふるさとを取り戻しゆく桜かな

「俳句界」2021年2月号より
 「特集 みちのく俳人競詠」十句のうちの三句である。氏は東日本大震災時、岩手県釜石市で被災。〈双子なら同じ死顔桃の花〉〈寒昴たれも誰かのただひとり〉などの句で知られる。震災後の作品を主にした句集『龍宮』により、俳句四季大賞および現代俳句協会賞特別賞等を受賞した。
 一句目は、遡上した鮭が産卵する場面。鷗などに目玉をくり抜かれながらも、ひたすら産卵に励む雌鮭の姿を浮き彫りにした。子孫を残そうと必死の雌鮭に厳しい牙を剝く自然界。人々に豊かさをもたらすみちのくの大自然ではあるが、その陰では、残酷なまでの命と命との熾烈な争いが繰り広げられている。
 二句目は、陸前高田市の奇跡の一本松。約350年前から、土地の人々が守り育ててきた美しい松林も、津波で残ったのは一本だけ。その一本も枯死。それを、モニュメントとして残した。それは、自然災害の恐ろしさを教訓として残すため、また、失われた多くの尊い命を弔うため、そして、これからも手を取り合って頑張ろうという気持ちを象徴するためのもの。作者はその星空に浮かぶシルエットを見つめつつ、改めて復興への思いを深くする。
 三句目は、失意の底から徐々に立ち直る人々の心の象徴としての桜。人々は助け合い、心を寄せ合い、そして復興に向かって着実に歩んできた。桜の咲く明るい景色に生きる勇気をもらいつつ、これからも多くの人々と手を携えながらの長い道のりを思う。
 震災から10年。苦難の道のりであった。しかし、共に手を携え、みちのくの人々の新たな歩みが始まろうとしている。

足音のいま寒林に入りたる黛執[春野]
うれしくてたまらぬやうに初つばめ
音立てて星の流るる故郷かな
「俳壇」2021年2月号より
 追悼企画「冬を待つ(病中吟十八句 選・黛まどか)」のタイトルが付いている。執氏は、昨年10月に90歳で他界。進行癌であった。治療を断念し、聖路加病院から自宅に戻ってからの作。「多くの俳人が臨終に及んで妄執とも呼べる姿を見せたように、父もまた俳句への凄まじい執念を最期まで見せた」と娘のまどか氏は前書きにそう記している。
 一句目は、朦朧とした末期癌の症状の中での作。かつての情景が蘇ったのであろう。作者の魂は寒林へと歩み入る。林の落葉の中で、自らの足音を聞きつつ、幻聴の世界を彷徨い始める。それはもしかすると来世への入口の足音であったのかもしれない。
 二句目、これもありし日の情景がふと蘇ってきたものであろう。病床で仰向けになりながら、つぶやくように言葉を発したという。長い苦難の旅路を乗り越えて、故郷の空へ帰ってきた燕が嬉々として飛び回る。
それは、とりもなおさず自らの長い人生を振り、故郷でいままさに最期を迎えようとする心境の吐露であったのかもしれない。
 三句目、故郷の湯河原は、自然に恵まれた地。若かりし頃の山や川、そして美しい空も星も作者の心の中に棲み着いていたのであろう。「音立てて星の流るる」は故郷の美しい自然の象徴。まどか氏によれば、病床で発する言葉は、「命の根源のようなものから湧き出てくるように聞こえた」という。
 長い間、俳句の発展のために尽くしてきた執氏の功績は大きい。感謝を込めてご冥福をお祈りする。

仕舞湯の柚子ととろとろしてをりぬ村上喜代子[いには]

「いには」2021年2月号より
 湯船はもちろんのこと、風呂場いっぱいに柚子の香りが広がる仕舞湯。一日の疲れもあり、湯船の中でついうとうとしてしまう心地よさ。アロマセラピーだけではなく、四季折々のしきたりを大切にして生きる日本人の伝統的な精神文化に浸かることの安堵感でもあろう。「とろとろ」というオノマトペがじつに心地よく一句の中に響く。

新雪に足跡すべて生きむため吉田千嘉子[たかんな]

「たかんな」2021年2月号より
 新雪が止んだ早朝の光景。すでにあちらにもこちらにも雪靴の跡が続く。新聞配達の、出勤の、そして登校の…。それらはすべて自らのため、そして、愛する人たちのために必死に生きる姿の形象化されたものである。みちのくの厳しい自然と闘いながら生き継ぐ人々の姿を見事に写し撮っている。

炉端へどうぞ火が一番の馳走です関成美[多磨]
「多磨」2021年2月号より
 近代の科学文明や技術の発展は、人々の日々の生活を快適なものにしてくれた。しかし、その快適さの裏で、人々は何か大切なものを失ってしまったような喪失感も覚えている。炉端の榾火、そこには団欒があり、どこか懐かしい郷愁のようなものがある。それが何よりもの馳走なのである。

(順不同)