鑑賞「現代の俳句」 (23) 沖山志朴
しづけさの重なつてゆく猪威し荒川心星〔鴻〕
[鴻 2022年 11月号より]
「猪威し」は「鹿威し」とも表記したりする。もともとは、鹿や猪などから農作物を守るために作られたものであるが、今日では、庭園の飾り物などとして設けられることが多い。一定の間をおいて静寂の中に響く石を打つ音は、周囲の静寂をより際立たせる効果がある。
心を落ち着けて聴き入っていると、一音一音にしだいに静寂が深まってゆく心持ちがする。多分に感覚的な句であるが、「重なつてゆく」に十分な説得力がある。
くわつと口開けて蛻(もぬけ)の蛇の殻菊田一平〔や・晨・唐変木〕
[俳句 2022年 12月号より]
口を開けたままの蛇の衣の句は、これまでに多く詠まれてきた。その観点からいえば、決して新鮮味のある句であるとは言えない。しかし、表現の工夫という観点からは新鮮で、魅力あふれる句である。
まず、上五の「くわつと」のオノマトペの効用である。この一語により、あたかも眼前の景ででもあるかのようなリアル感を見事に演出できた。次に、「蛻」という語彙の選択である。「蛻」は、もともとは「裳抜け」から生まれた語。つまり、蛇そのものの形が残っているという印象がこの語から鮮明になったからである。
湧水の筧の音や薄紅葉岡野里子〔末黒野〕
[俳壇 2022年 12月号より]
筧を流れる清水の音の聴覚と、薄く色づいた紅葉の色合という視覚との取り合わせが実に見事である。
風のない穏やかな日和の中、静かに筧を伝わり流れる湧水の音、ほのかに色づき始めた傍らの紅葉の葉。それが一体となって初秋の自然の落ち着いた情趣を醸し出している。その中に佇む作者の自然と一体となった心持ちがほうふつとしてくる。
銃痕の繕うてあり熊の皮石井いさお〔煌星〕
[俳句四季 2022年 12月号より]
余計な説明は一切しないで、ぎりぎりまで言葉を省いた写生句。鉄砲で撃ち抜かれた熊の毛皮の穴が補修してある、というだけの句意であるが、読み手は十七音から、いろいろに想像を巡らす。
熊はどのような状況下で仕留められたのであろうか。壁に貼り付けられているのであろうが銃痕は、頭部、それとも胸部。どのようにして繕われているのであろうか。まさに人の「怖いもの見たさ」の心理をくすぐる工夫がこの省略化の中に見事に隠されているのである。
田水沸き鉄塔の脚浮く如し南うみを〔風土〕
[風土 2022年 10月号より]
真夏の昼下がりのうだるような暑さの下、田水の温度は上がり、まるでぬるま湯のようになる。田の底からはバクテリアなどの発生により、泡が立ち、田一面に湯が沸いているようにも見える。
作者の視点は、遠くの送電線の鉄塔に移る。その地表に近い部分は、浮いて揺らいでいるようにすら見える。真夏の高温下での自然現象と、その中に立つ剛直な人工物との取り合わせであるが、見逃してしまいがちな素材にしっかりと視点を当て、一句を纏め上げている。
山茶花の散る音もなく風もなく赤松佑紀〔香雨〕
[俳句四季 2022年 12月号より]
山茶花の散り継ぐ景色を詠いながら、実は小春日和の昼下がりの静寂な光の世界を表現した句である、と鑑賞する方がよかろう。
その効果を高めているのが、中七から下五にかけての「音もなく風もなく」の「なく」のリフレインである。また、対句的な「音も」と「風も」も、相乗的に働き、効果を高めているのは言うまでもない。やがてやってくる厳しい冬の寒さをなんとなく感じさせる句である。
雪女融けたる水や犬舐むる 堀田季何〔楽園〕
[俳句界 2022年 12月号より]
雪女のイメージを覆すような意表を突いた句である。雪女が水になってしまったという句は散見するが、その水を犬が舐めているという徹底ぶりは驚きである。
作者は、俳句ばかりでなく、広く世界の文学に触れ、多言語多形式で執筆するなど国際的な感覚を身に付けた方。掲句も、雪女の句としてよりも、地球温暖化などの環境破壊への警鐘の句として鑑賞するのがよいであろう。氷河が溶け出して大洪水が起こったり、海水面が上昇して危機的な状況の島が生じたりと、この地球はまさに天変地異続き。突拍子もないような下五の表現。まさに環境問題が喫緊の課題であることを訴えている。
(順不同)
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