古典に学ぶ (65) 『枕草子』のおもしろさを読む(19)
─ 野分のまたの日こそ」(189段)の「をかし」の世界② ─     
                            実川恵子 

 「野分のまたの日こそ」(189段)の後半は次のようにある。
 いと濃き衣(きぬ)のうはぐもりたるに、黄朽葉(きくちば)の織物、薄物(うすもの)などの小袿(こうちぎ)着て、まことしう清げなる人の、夜は風のさわぎに、寝られざりければ、久しう寝起きたるままに、母屋(もや)より、すこしゐざり出でたる、髪は風に吹きまよはされて、すこしうちふくだみたるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。物あはれなるけしきに、見出して、「むべ山風を」など言ひたるも心あらむと見ゆるに、17、8ばかりやあらむ、小(ちひ)さうはあらねど、わざと大人(おとな)とはみえぬが、生絹(すずし)の単衣(ひとへ)の、いみじうほころび絶え、花もかへりぬれなどしたる、薄色の宿直物(とのゐもの)を着て、髪、色に、こまごまとうるはしう、末も尾花(をばな)のやうにてたけばかりなりければ、衣の裾にかくれて、袴のそばそばより見ゆるに、童(わらは)べ、若き人々の、根ごめに吹き折られたる、ここかしこに取りあつめ起し立てなどするを、うらやましげに押し張りて、簾(す)に添ひたるうしろでもをかし。
 (とても濃い色の着物の光沢が薄れているのに、黄朽葉色の織りの表着に薄物などの小袿をかけて着て、まじめそうで、見た目にきれいな人が、昨夜は風が騒がしくて、寝られなかったので、長いこと朝寝をして起きると、そのまま母屋から、座ったままで少し廂の方に進み出ている─髪は風に吹き乱されて、少しふくらんでぼさぼさになっているのが、肩にかかっている様子は、本当にすばらしい。その女、何かとしみじみとした感じのする様子で庭を見て「むべ山風を」などと言っているのも趣味のよい人だろうと見えるのに、17、8ぐらいであろうか、小さくはないけれど、ことさらに大人とは見えない少女で、生絹の単衣の、ひどく綻び切れている着物で、花色も褪せて濡れなどしているものの上に、薄紫色の宿直着を着て、髪は艶があってこまやかに立派で、裾も薄の花のような恰好で、ちょうど背丈と同じくらいの長さなので、着物の裾に隠れて、袴の襞から見える、といった少女が、女(め)の童(わらわ)や、また若い女房が、根ごと吹き折られている草木などを、あちこちで取り集め、起こし立てなどするのを、うらやましそうに部屋の中から外側に押し張って、簾にぴったりくっついている後ろ姿もね、素敵なの。)
 このように、庭を眺める二人の女性を点出するが、それもその衣の色の一つ一つ、髪の具合とその姿態の一々を精細に書き留めており、『枕草子』の拡散する視野の生むものは、スケッチ風の世界である。一方『源氏物語』の「野分」の巻は、翌朝になってようやくおさまった野分が、一巻の背景として描かれていて、作者の卓抜な描写力が遺憾なく味わえる巻だが、その中に、夕霧が、まだ寝(やす)んでいる源氏と紫の上の寝室の前の簀子に腰をかけて庭を見渡す場面がある。「おはしますにあたれる高欄におしかかりて見渡せば、山の木どもも吹きなびかして、枝ども多く折れ伏したり。くさむらはさらにもいはず、檜皮(ひはだ)、瓦、所々の立蔀(たてじとみ)、透垣(すいがい)などやうのもの乱りがはし。日のわづかにさし出でたるに、憂へ顔なる庭の露きらきらとして、空はいとすごく霧(き)りわたれるに、そこはかとなく涙の落つるをおしのごひ隠して、うちしはぶきたまへれば、」とある。庭の築山の大きな木から、倒れ伏した植え込み、散乱する檜皮、瓦、塀の残骸に視線が移り、ようやく回復してきた天候の模様、さし初めた日の光、それがきらきら光る露の輝きに凝縮されて、露─涙の連想から、ただわけもなく哀れをさそう夕霧の心境に筆が移る。