古典に学ぶ (67) 『枕草子』のおもしろさを読む(21)
─ 生き生きと描かれた子供達の風景① ─     
                            実川恵子 

 子供達が、実に生き生きと登場する章段がある。次の138段である。冒頭の、正月十余日とは、太陽暦の二月の中ごろであろうか。この時期は、冬型の気圧配置が変わり始める頃で、ここにあるような、厚い雲が空を暗くしている一方で、日差しは雲の切れ目からさしこんでくる。その中で展開される子供たちの騒ぎが聞こえてくる。
 正月十余日(よひ)のほど、空いと黒(くろ)う曇り厚く見えながら、さすがに日は、けざやかにさし出でたるに、えせ者の家のあら畑(ばたけ)といふものの、土うるはしうもなほからぬ、桃の木の若だちて、いとしもとがちにさし出(い)でたる、片(かた)つ方(かた)はいと青く、いま片つ方は濃くつややかにて蘇枋(すはう)の色なるが、日影に見えたるを、いとほそやかなる童(わらは)の、狩衣はかけ破(や)りなどして、髪うるはしきがのぼりたれば、ひきはこえたる男児(おのこご)、また小脛にて半靴(はんくわ)はきたるなど、木のもとに立ちて、「われに毬打(ぎちやう)切りて」などこふに、また、髪をかしげなる童の、衵(あこめ)どもほころびがちにて、袴萎(はかまな)えたれど、よき袿(うちき)着たる三、四人来て、「卯槌(うづち)の木のよからむ、切りておろせ。御前(おまえ)にも召す」など言ひて、おろしたれば、ばひしらがひ取りて、さし仰ぎて、「われにおほく」など言ひたるこそをかしけれ。
 黒袴(くろばかま)着たる男(おのこ)の走り来てこふに、「まして」など言へば、木のもとを引きゆるがすにあやふがりて、猿のやうにかいつきてをめくもをかし。梅などのなりたるをりも、さやうにぞするかし。
(正月十何日かの頃、空がすごく黒くて、曇って厚く見えているけれど、それでもやはり春で、日は鮮やかにさしている。つまらない者の家の、あら畑というものの、土もきちんと平らに耕されていない一角に、桃の木の若々しい様子で、たくさん若枝が出ているのが、一方はとても青く、反対側は濃くつやつやしていて、紫がかった赤色になっているのが、陽の光に見えているのに、たいへんほっそりした子供で、狩衣はカギ裂きなんかになってはいるものの、髪はきちんとしている子が登っている。着物の裾をからげているので、男の子や、また脛を丸出しにして半靴を履いているのなどが、木の根もとに立って、「わたしに毬打を切ってよ」などと頼んでいると、また、髪の美しげな女の子で、衵は縫い糸が切れて袴はよれよれになっているけれど、美しい袿を着ているのが、3、4人来て、「卯槌の木のよさそうなのを切って落してぇ、ご主人様のところでもいるのよぉ」などと言うので、木に登っている子が桃の木をおろすと、下の子供達が我がちに奪い取って、桃の木を仰いで、「わたしに沢山ねぇ」などと言っているのはおもしろい。
 黒袴をはいている家来が走って来て枝をほしがるのに、「ちょっと待ってて」と言うと、何を小生意気な、とばかり木の幹をぐらぐら揺すると、上の少年は落ちそうになって、猿のようにしがみついてわめき叫ぶのもおもしろい。梅なんかのなっている時も、こういうさわぎをするんだよね。)