古典に学ぶ (68) 『枕草子』のおもしろさを読む(22)
─ 生き生きと描かれた子供達の風景② ─     
                            実川恵子 

 「正月十余日のほど、空いと黒う」章段(138段)は、空模様から描写は始まり、地上へと目を移すと、「えせ者の家のあら畑」が広がっている。「えせ者」とは具体的にはどんな人なのかはわからないが、貴族ではあっても土着性の濃厚な人をいうのであろう。この風景は田舎のようである。畑は冬の霜と風で、大部分が平らになっていると思われるのに、「土うるはしうもなほからぬ」とは、小正月もすぎて、畑の土の荒おこしをしたのであろうか。まだよく土をうってないので、土のかたまりがでこぼこをつくり、春さきの明るい日差しにそのでこぼこがくっきり浮き出ている情景なのであろう。
 桃の木は毎年、あるいは隔年ごとに枝をおろすのだろうか。下の方の幹は太り、子供が登れるくらいになっていても、上の方は去年の春からのびた若枝が、何本も何本も、上向きに伸びている。「片つ方は濃くつややかにて蘇枋の色なるが、日影に見えたるを」(一方はとても青く、反対側は濃くつやつやしていて、紫がかった赤色になっているのが、陽の光に見えているのに)と、陽に当たらない方は青く、当たった方は赤黒く、つやつやして美しい枝とある。この桃の木肌の、方角による変化まで描き分けずにはいられない性質のものであることにも注目すべきであろう。この清少納言の観察眼の鋭さと、確かな描写力には驚かされる。 こういう風景の中の、いたずらっ子もいじめっ子も、なんとほほえましい存在なのであろうか。木に登った少年は、10歳くらいか。身のこなしは軽そうで、活発な少年で、狩衣のかぎ裂きはその証拠。また、木の下の子供はもっと幼く、6、7歳くらいか、まだ木に登れないようである。毬打とは、細い杖でまりを打つ遊びだが、この桃の若枝をその杖にして遊ぶのである。「狩衣」、「半靴」といい、おそらくこの家に仕える者でもかなり上の身分の人の子供なのだろう。
 一方、女の子たちは女童で、奥方に仕えているのか。10歳くらいで、少年に対する口のきき方は、一寸大人ぶっているようだが、枝が切り降ろされると、忽ちその幼児性をあらわにして奪い合い、頼みにくいのか、主人も所望だと言い、「もっと切ってちょうだい」と卯槌をねだるなど、実にほほえましい光景が展開される。
 最後に登場するのは、木の上の少年より年上の、14、5歳くらいの下男か、見るからにきかなそうな男は、請求の仕方も荒々しい。木の上の子が、揺すられておびえ、「ちょっと待ってて」と木にすがりつく。さすが身軽な少年も、桃の細枝にしがみついて「やめてよぉー。危ないじゃない!」と叫ぶ。下ではますますおもしろがって揺する。子供達の様子が、それぞれの年齢に応じて描き分けられていて、実におもしろい章段である。
 また、登場する子供達同様、心ときめかせている作者も想像できる。
 そして、末尾の「梅などのなりたるをりもさやうにぞするかし」と打ち切らなかったならば、まだまだおもしろい場面が続きそうである。
 あまり長くなるとかえってだれるので、適当なところで打ち切る、そのための終わりの一文なのであろうか。
 早春の日射しを浴びて、無邪気な子供達の世界は、自然と一体になり、作者固有の美意識や感覚はいっそう研ぎ澄まされてくるのである。