古典に学ぶ (69) 『枕草子』のおもしろさを読む(23)
─ 清少納言の人間観察 宮仕え必須論① ─     
                            実川恵子 

 清少納言の宮仕え必須論の随想として有名な章段がある。第22段「生(お)ひさきなく、まめやかに」である。宮仕えには否定的な口ぶりの紫式部と対蹠的であるというのも興味深い。まずは読んでみたい。

生ひさきなく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、いぶせくあなづらはしく思ひやられて、なほ、さりぬべからむ人のむすめなどは、さしまじらはせ、世のありさまも見せならはさまほしう、内侍(ないし)のすけなどにてしばしもあらせばとこそおぼゆれ。
(将来性がなく、ただひたすら、ささやかな家庭の幸せ、なんていうものを夢見ているような女性は、私には鬱陶しくて、軽蔑すべき人のように思われます。やはり、それ相応の家の娘さんなんかには、宮仕えをさせて、世間の様子を見習わせたくて、内侍のすけなどに、しばらくの間就かせたいと、思われますよ。)
 
 さて、ここに出てきた「内侍のすけ」というのは、内侍司(ないしのつかさ)の次官、典侍のことで、宮中で天皇の側近く仕える上級の国家公務員のようなものである。ここには、世間知らずの専業主婦はもう一つで、貴族のお嬢さんでも世間を知るべきだ、と言うのである。勿論、世の有様を知るといっても、ここでは、宮廷のしきたりを身につけたり、洗練された宮廷文化に親しむことをさすにすぎない。また、「しばしもあらせばや」とは、いわゆる腰かけ的にも、女性が自分の家の外の世界で働くことを積極的に認めているという点で、注目すべきであろう。
 では、なぜ清少納言はこのようなことを書いたのだろうか。それは、当時は女性の宮仕えを非難する風潮があったと考えられる。そして、この文章は次のように続く。

宮仕へする人を、あはあはしうわるき事に言ひ思ひたる男などこそ、いとにくけれ。
(宮仕えをする女性を、軽薄でよくないことだとか、言ったり思ったりしている男なんかは本当に癪にさわりますよ。)
 
 しかし、その直後に「げに、そもまたさるぞかし」(確かに、それももっともなことである。)と譲歩の言葉が続く。なぜ宮仕えする女性が軽薄だといわれても仕方がないのか。その部分を要約すると、天皇や男性貴族はもちろん、宮中で働く下々の人や、同僚の実家からの使いなど、あらゆる人々に姿を見られるからだというのである。そして、結婚相手としては、「上(うえ)などいひて、かしづき据ゑたらむに、心にくからずおぼえむ、ことわりなれど」(宮仕えの経験をしてさんざん他人に見られていた女性は、男性がその人を奥様などと言って、大切に迎える場合に、人に顔を見られているから、奥ゆかしく感じられないのは、もっともだけれど)と、結婚におけるマイナス面を一旦認めている。しかし、この後、清少納言の弁護の言葉が続くのである。
訳だけを載せると、

奥さんが典侍としての仕事で、時々宮中に上がったり、天皇の使者となって活躍するのは、夫としても晴れがましいことでしょうし、そんなキャリアのある女性が、家庭に落ち着くことになるのは素晴らしいことではないですか。知識も豊富なので、夫が宮中の御用を務める時には、アドバイスができて役にたつでしょう。

と、最終的には宮仕え経験を讃える文章となっている。