古典に学ぶ (52) 『枕草子』のおもしろさを読む(6)
             ─ 類聚章段諸段考「山は」段の連想の糸② ─
                                                                                                               実川恵子

「山は」章段には、十八の山の名があげられる。そのうち十四までが山の名のみであり、あとの四例は次のようにある。
 「かたさり山こそ、いかならんとをかしけれ」、「あさくら山、よそに見るぞをかしき」、「おほひれ山もをかし」、「三輪の山、をかし」
 この四例は、述語が施されたり、また「おほひれ山もをかし」の次に「臨時の祭の舞人などの思ひ出らるるなるべし」(臨時の祭の舞人の姿などが目に浮かぶからだろう)と、「おほひれ山」に付随した感想がつけられる。
 このように「山は」段に限らず、類聚章段は単なる名の列挙だけの形式と、例外的に述語の現れるものと付随した感想とに形式的に分けられる。
 さて、単に山の名前が列挙されているだけでは、その個々の山について、どうして作者がその山をあげたのか、その理由が明らかでないが、述語の現れる例や感想の付された例については分かる場合がある。「かたさり山」とは、どんな山かしらとおもしろい、というのは、「かたさる」―遠慮する、というその奇妙な山の名前に興じていることがわかる。また、「朝倉山」は、「昔見し人をば我はよそに見し」という古歌への連想が見える。「おほひれ山もをかし」だけでは、述語があっても、この山が挙げられた理由は明らかではないが、石清水の臨時の祭に東遊びを奏する舞人の姿が目に浮かぶというので、その理由がわかる。石清水の臨時の祭は、三月の丑の日に行われるが、祭りの二日前に清涼殿東庭で試楽が行われ、当日、勅使一行の出発前に同じく清涼殿東庭で御前の儀が行われ、いずれも東遊びが奏される。
 『枕草子』百四十段「なほめでたき事」に、石清水の臨時の祭当日の御前の儀の描写があり、清少納言はこれを見物したことがあるらしい。東遊びは、一歌・二歌・駿河舞・求子(もとめご)歌・片降(かたおろし)の五部から成り、それぞれに歌詞がある。駿河舞と求子歌には舞があり、最後に片降(一般に「大比礼」と表記)を繰り返し歌いながら退出する。その歌詞は「大ひれや、をひれの山は」と歌われる。最後の「三輪の山、をかし」は「をかし」だけでは何が「をかし」いのか分からない。
 ともかく、これらの山は、その山の名のおもしろさと、特定の古歌への連想、東遊びの歌詞への連想から、さらに具体的な東遊びの舞人の連想と清少納言の限りない創造世界へと飛躍していくのである。
 つまり、この「山は」世界の要には、ことばの問題がある。五幡山という山は、「いつはた」(一体いつ)という人間のことばとのかかわりにおいてしか、存在意義がない。帰山は、帰る山でなくてはならない。さらに「後瀬の山」と連続していくことは恋への想像も膨らんでいく。
 これらの山々は自然の山であることをやめ、または自然の山であることは本来なく、人の心とともに息づいてくるものなのである。そういう世界を『枕草子』の章段は啓示してくれる。ある意味、清少納言の和歌からの大いなる飛躍とも考えられる。