古典に学ぶ (55) 『枕草子』のおもしろさを読む(9)
   ─「~げなるもの」章段の距離の感覚 ─      
                            実川恵子 

 『枕草子』類聚章段の中で、「~げなるもの」という題詞を持つ章段がいくつかある。例えば、
  にげなきもの(四三・似つかわしくないもの)
  心地よげなるもの(七六・気持ちよさそうなもの)
  わびしげに見ゆるもの(一一八・気落ちした感じに見えるもの)
  暑げなるもの(一一九・暑苦しそうなもの)
  恐ろしげなるもの(一四二・見た目に恐ろしいもの)
  いやしげなるもの(一四三・見た目に下品なもの)
  むつかしげなるもの(一四九・むさくるしく見えるもの)
  苦しげなるもの(一五一・苦しそうなもの)
  うらやましげなるもの(一五三・うらやましく見えるもの)
  頼もしげなきもの(一五八・頼もしい感じがしないもの)
  言葉なめげなるもの(二四〇・言葉が乱暴なもの)
などの章段がそれである。いずれも、本質よりも、表層の様相に興味の焦点があてられている章段である。
 これらは、「暑げ」「恐ろしげ」「いやしげ」などと、おおよそ不快や卑賤な対象から身を引きつつ、再び興味を寄せるという、距離のある関心の表明のあり方である。
 不快でありながら、どこか憎めない、奇妙に親密な苦笑のようなものがこれらの章段を性格づけている。例えば、一四二「恐ろしげなるもの」、一四九「むつかしげなるもの」がそれである。

恐ろしげなるもの 橡(つるばみ)のかさ。焼けたるところ。水茨(みづふぶき)。菱(ひし)。髪多かる男の洗ひて乾すほど。

(見た目に恐ろしいもの。団栗の笠。火事の焼け跡。鬼蓮。菱の実。髪の多い男が洗って乾す間。)

むつかしげなるもの 縫物の裏・鼠の子のまだ生ひぬを、巣の中よりまろばし出でたる。裏つけぬ皮ぎぬの縫い目。猫の耳の中。ことに清げならぬ所の暗き。
 ことなる事なき人の、子など、あまた持てあつかひたる。いと深うしも心ざしなき妻の心地あしうして久しうなやみたるも、男の心地はむつかしかるべし。

(むさくるしく見えるもの 刺繍の裏側。鼠の子のまだ毛も生えないのを、巣の中から転がりだしたの。裏がまだついていない皮衣の縫い目。猫の耳の中。格別きれいにも見えない所の暗いの。
 特にどうということもない人が、子などをたくさん持って世話しているの。たいして深くも愛していない妻が気分を悪くして、長い間病気でいるのも、男の気持としてはうっとうしいであろう。)
 「焼けたる所」は、なるほど恐ろしげではあるが、髪の多い男が洗髪し、そのざんばら髪を干している姿のこけおどし的な恐ろしさは、団栗の笠の卑小な恐ろしさと同列に挙げられることで、その悲惨さが緩和される。同じように、子沢山の親の負担の大きさや、さほど愛していない妻の病気を看病する夫の、面倒とも大儀ともつかない心の重さは、猫の耳の中やまだ毛の生えていない鼠の子などの突飛で何とも形容しがたい不快な感覚と並べて置かれることで、軽やかな笑いに転化されている。このような「~げなるもの」章段の曖昧さは、深刻な話題を滑稽で軽妙な観察まで引きずりおろし、また引き上げて見せるという距離の感覚に満ち溢れている。