古典に学ぶ (73)令和を迎えて読み直す『万葉集』の魅力
─  「梅花の宴」の意味するもの①─     
                            実川恵子 

 天平2年(730)正月13日、大伴旅人は館に大宰府管下の官僚たちを集め、梅花の下で宴を催した。列座の中には太宰少弐小野老(だざいしょうにおののおゆ)、筑前守山上憶良(ちくぜんのかみやまのうえのおくら)、笠沙彌(かさのさみ)、大伴氏一族の大伴百代(おおとものももよ)の他に『万葉集』に歌を残す人々の名が見える。
 一座は主人である旅人を含め32人、彼らがこの「梅花」を主題として一首ずつ歌を詠み合うというこの宴は、『万葉集』には大変珍しく、和歌本来の形ではなく、中国の習慣に倣ったもので、当時としては珍しいものであった。
 異国情緒をたたえる梅の花を囲み、異国の習慣に倣ってのこの宴は、海外の玄関口にあたる大宰府にはふさわしい集いであったといえるだろう。題詞には「梅花の歌三十二首 併せて序」とあり、新元号「令和」の出典となった次の序文(巻五)を載せる。

 天平二年正月十三日に、帥老(そちろう)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(の)べたり。時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前(きょうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭は珮後(ばいご)の香(かう)を薫(かを)らす。加以(しかのみにあらず)、曙(あさけ)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)け、夕(ゆふべ)の岫(くき)に霧結び、鳥は縠(うすもの)に封(と)ぢられて林に迷(まと)ふ。庭に新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。
 ここに、天を蓋(きぬがさ)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝(ひざ)を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うち)に忘れ、襟(ころものくび)を煙霞(えんか)の外に開く。端然(たんぜん)に自ら放(ゆる)し、快然(くわいぜん)に自ら足(た)りぬ。もし翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(もち)てか情(こころ)を攄(の)べむ。請(ねが)はくは落梅(らくばい)の篇(へん)を紀(しる)せ、古(いにしへ)と今と夫(そ)れ何か異(こと)ならむ。園梅(ゑんばい)を賦(ふ)して、聊(いささ)かに短詠を成すべし。

 この序文は、これから繰り広げられる「梅花の歌三十二首」が詠まれた背景や事情を明かす文章である。
 この序文の前半の意味は、次のとおりである。

 天平2年正月13日(太陽暦の2月8日ごろか)、太宰帥(大伴旅人をさす)の邸宅に集まって、宴会を繰り広げた。折しも、初春の佳き月で、気は清く澄み渡り風はやわらかにそよいでいる。梅は鏡の前の白粉のように白く咲き、蘭は匂い袋のように香っている。そればかりではない、夜明けの峰には雲がさしかかり、松はその雲のベールをまとって蓋(きぬがさ)をさしかけたように見え、夕方の山の頂には霧がかかって、鳥はその霧の縠(うすもの)に封じ込められて林の中に迷っている。庭には今年生まれた蝶が舞っており、空には去年の雁が帰って行く。

 この冒頭近くの「初春の令月にして、気淑く風和ぐ」が「令和」出典となったものだが、「令月」は佳き月。ここは正月を褒めていったもので、中国の詩文集『文選(もんぜん)』、王羲之(おうぎし)の『蘭亭集』序にも同じような表現がある。そして、これに続く叙述こそ、この「梅花の宴三十二首」を理解するのに注目すべきである。

 そこで一同、天を屋根とし、地を座席とし、膝を近づけて盃をめぐらせる。一座の者はみな心を奪われてうっとりし、言葉を忘れ、雲霞の彼方に向かって心中を打ち明ける。心は淡々としてただ自在、思いは心地よくただただ満ち足りている。
 ああ、文章によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。諸君よ、落梅の詩歌を所望したいが、昔も今も風流を愛することに変わりはないのだ。さあ、ここに庭の梅を題として、まずは短歌を作りたまえ。

 最後の部分の「もし翰苑にあらずは、何を以てか情を攄べむ。云々」とは、歌とは何か、文学とは何かの自覚を示す文章であるようだ。また、この梅花の宴の感動は、それを言語で表出することこそ意味があるという文学観がここにあるように思えてならない。