古典に学ぶ (77)令和を迎えて読み直す『万葉集』の魅力
─  「梅花の宴」の意味するもの⑤     
                            実川恵子 

 上席の歌詠が終わり、下席へと盃が回り、歌が続いて詠み継がれていく。下席の座の順序は、上席ほど明確な秩序はない。到着順や年長を先に立てるというようなことがあったのであろう。だが、その歌々の反応や照応の関係は、上席にまさるとも劣らないようである。
 まず、下席筆頭者は、佐氏子首(さじのこおびと)の次の歌である。

万代(よろづよ)に年は来経(きふ)とも梅の花絶ゆることなく咲き渡るべし
(万代の後までも、その園の梅の花は絶えることなく咲き続けるであろう)

 前歌に対し、桜の花など考えまいとする梅の花の永続を願う下席筆頭の役割を見事に果たしている。「万代に」という歌い起しにもその意識が現れているようである。これは上席一同への敬意と、主人旅人への謝辞としてもとらえられるであろう。続く、831は板氏安麻呂(ばんじのやすまろ)の、

春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜睡(よい)も寝(ね)なくに

(春なればこそ、こんなにも美しく咲いている梅の花よ、あなたを思うあまり夜もおち眠れないぞ)

 下句は恋歌仕立てに詠んでいる。前にも憶良の818、大伴大夫の819の歌を意識していることがわかる。あるいは上席への挨拶という意も込められるのか。
 これに続く832から836の五首の歌は、前歌を承け上席の詠みぶりへの配慮も忘れずに、詠んでいる。注目すべきは、837、志氏大道(しじのおおみち)の、

春の野に鳴くやうぐひすなつけむと我が家の園に梅が咲く
(春の野で鳴く鶯、その鶯を手なずけようとして、わが家の園に梅の花が咲いている)

 この歌は、今までの歌にはなかった梅と鶯の取り合わせで詠んでいる。歌の流れを変えたものと考えられる。また、注目すべきは、「我が家の園」という語を登場させている点である。これは、この「梅花の宴」という共通の詠題として最初に提示された「園梅」を意識したものである。上席では、この「園」、「やど」の語は7例ほども現れるのに対して、この志氏大道は終盤に位置する者として、上席で強く意識された今日の宴の本来の課題を、ここで再確認したものらしい。彼は、その意味で、これまでの歌の流れをしっかりと承けとめている。これも風雅というものであろうし、この志氏大道という作者の技量もなかなかのものであったことがわかる。
 この歌の後には、榎氏鉢麻呂(かじのはちまろ)

梅の花散り紛(まが)ひたる岡辺(おかび)にはうぐひす鳴くも春かたまけて
(梅の花の散り乱れているあの岡辺には鶯がしきりに鳴いているぞ。今はすっかり春になって)

 という歌がある。「岡辺」とは具体的にどこをいうのかは分からない。しかし、前歌の「我が家の園」との関わりから、この庭園に造られた岡をさすとも考えられる。つまり、837の梅の花が「なつけむ」とした鶯が「なつけ」られて、園の「岡辺」にやってきたことを幻想したかのような詠みぶりでもあろう。そして、さらに遠く主人旅人の822歌「我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」の幻想を承け、また、美しい雪の花をも意識しながら詠まれたのが、田氏真上(でんじのまかみ)の次の歌であろう。

春の野に霧立ち渡り降る雪と人の見るまで梅の花散る
(あれは春の野に霧が立ちこめて、まっ白に降る雪なのかと誰もが見紛うほどに、この園に梅の花が散っている)